子どもはオトナ、とりわけ自分の母親にあたるメスが「歯磨き」を行っていると、ほぼ正面にすわって、その行動が終わるまで注目することがしばしばある。私たちはビデオカメラを用いて、そういうシーンを50例、7頭のメスを対象にして収録を行った。また対象条件として同一のメスが、単独で同じように行動するシーンを50例、記録し詳細に行動パターンを比較してみたのだった。
gCOE
Project
教育の起源を探る
正高信男
生物は遺伝的な多様性を発現することを通じて、様々な環境条件に適応した種を進化させてきた。そして進化の過程でやがて、さまざまな環境の変異に応じて、柔軟に適応できる個のレベルでの多様性が誕生することとなる。
もちろん多様な個体性というものが発達するためには、個それぞれが生活する環境の情報を取り込むことが不可欠である。通常、学習と呼ばれる過程がこれに当たる。そして個にどこまで可塑性にとんだ学習能力が備わっているかは、予め限定されている。この多様性を可能にする遺伝的基盤の進化を研究するため、野生霊長類が集団のレベルで行う道具使用行動が、世代から世代へ伝達されていくメカニズムの解明を行ってきた。
周知の通り、グループの中でメンバーの多くが他では見られないような道具使用を行うという事例は、多くの動物で報告され今日に至っている。例えばアフリカに生息するチンパンジーが木の枝をスティック代わりにして地表の穴に挿入し、シロアリを釣ることは大変良く知られているだろう。しかしそれにも関わらず、次世代が当の行動をどのようにしてあらたに習得するかは、全く分かっていない。
模倣がなされているという主張も存在するものの、否定的な考えをする研究者もまた多く、いずれの立場も決定的な論拠を欠くというのが真実に近い。ただし主張は相反するものの双方で一致を見るのは、行動が世代間伝承をする中で、その成立を実現させているのは習得する立場にある。新しい世代の「努力」にひとえに因るという点である。つまり、すでに習得した世代は継承にあたって何ら寄与することを行わないという点については、無条件に合意がなされてきたのだった。
身近なたとえになるけれども、日本の伝統的な職人の世界などでは、「技は教わるものではなく、盗むものである」としばしば言われる。動物のいわゆる「文化的行動」の世代間伝達のメカニズムは、まさにこのアナロジーであるとみなされてきたと言って良いだろう。この論理に従う限り、人間以外の動物に「教育」はあり得ないころになる。
そこで私たちのグループは、タイのロブリーという街に生息する約250頭のカニクイザルを対象に、道具使用をマスターしているオトナのメスザルの行動を、彼らの子ども(満1歳)が見ている状況下とそうではなく単独でいる場面とで比較、検討を行ってみたのだった。
ロブリーは、16世紀に栄えた寺院を中心として発達した所であり、サルはその神の使いとして未だに、神聖視されている。たとえ彼らが、人間の肩などに乗ったとしても抵抗することはタブーである。そのようななかで、あるサルが女性の長い髪を抜き、デンタルフロスのようにして、口内の歯にはさまった食物の断片を除去することを、学習したのが、およそ10年前のことであった。以来、同様の行動は一集団の内部で拡大し、2008年には100頭ほどの個体が「歯磨き」をするようになっていた。ただし、行い得るのはオトナに限られ、子どもがマスターするには、かなり長い年月を要すると推測される。
子どもはオトナ、とりわけ自分の母親にあたるメスが「歯磨き」を行っていると、ほぼ正面にすわって、その行動が終わるまで注目することがしばしばある。私たちはビデオカメラを用いて、そういうシーンを50例、7頭のメスを対象にして収録を行った。また対象条件として同一のメスが、単独で同じように行動するシーンを50例、記録し詳細に行動パターンを比較してみたのだった。
二つの観察条件下で、おのおののサルが「歯磨き」に費やす総時間量を比べてみたところ、有意な差は見られなかった。つまり、子どもが注目していようと、あるいは存在しまいと全体としての行動の生起量は変わらなかった。けれども具体的な行動のパターンには顕著な違いのあることが明らかとなった。
子どもがいないと、毛髪を口に入れるやすぐさま片手で側方から引き出すということを反復する。他方、子どもが注目している場合には(1)毛を内部に入れたままで、口を何度も開閉する。さらに(2)開閉した後も片手を開いて、側方から引き出すとは限らず、毛を再度両手で保持したまま口唇部の前面へ取り出し、子どもの面前において視線にかざすように呈示し、また口内へ挿入するということを時に、複数回にわたり繰り返すのが見られた。そして一連の歯磨きを終了するに当たって初めて、片手で側方から引き出す。
このように子どもの存在によって道具使用のパターンには「誇張」化の傾向を示す。それは、次世代が行動を習得するにあたり、それを容易にする機能を担っているのではないかという推測が成り立つ。もしそうであるならば、人間の教育行為の起源にあたる現象が、サルで萌芽しているとも考えられるのである。
"Free-Ranging Macaque Mothers Exaggerate Tool-Using Behavior when Observed by Offspring" by N.Masataka, H.Koda, N.Urasopon, K. Watanabe PLoS one 4(3) e4768
グローバルCOEプログラム「生物の多様性と進化研究のための拠点形成−ゲノムから生態系まで」は、京都大学大学院理学研究科生物科学専攻(動物学系・植物学系・生物物理学系)、京都大学生態学研究センター、京都大学霊長類研究所によって運営されています。
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