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京都大学 霊長類研究所 年報 vol. 48
京都大学霊長類研究所年報のページvol. 48

京都大学霊長類研究所 年報

vol. 48 2017年度の活動

.退職にあたって

退職のご挨拶

ゲノム細胞研究部門 ゲノム進化分野・平井 啓久

私は霊長類研究所で26年間教員として研究教育に携わりました。前職の熊本大学と合わせると39年間大学に勤めたことになります。霊長研に助手として赴任した時はちょうど40歳になったところでした。赴任当初サル達の声を聞きながら仕事ができることに胸が躍ったことを覚えています。前職では医学部で寄生虫病学を専攻していましたので、自ずと病気に関わる研究を進めることが求められましたが、霊長研では自分の興味に基づいて自由な研究ができることに深い喜びを感じました。不惑の歳に霊長研に赴任できたことは研究内容を考え直す良いタイミングでした。

霊長研での26年間は集団遺伝分野、人類進化モデル研究センター/遺伝子情報分野、遺伝子情報分野、ゲノム細胞部門(ゲノム進化分野)と部署の異動や組織変更がありました。教授在任中は人類進化モデル研究センター長(4年)、副所長(2年:前職と併任)、および所長(4年)を拝命し、研究以外のいろいろな経験をしました。総長をはじめとする大学執行部との会議や陳情・説明によって京都大学の内状を知ることができました。また、文科省や内閣府での種々の状況説明等で大学組織が何たるかを垣間見ることができました。これらの総務的な業務によって研究に集中できなかったことはやや悔やまれますが、組織や人とは何かを考えるよい機会だったと思います。

研究面では染色体の変化に連鎖した生物の進化を検討しました。端的にいえば「ヘテロクロマチンが織りなす染色体の進化」と括ることができます。寄生虫病学から霊長類学への転身は字面では大きな変化に見えますが、「病学」という冠がはずれ対象生物が変わっただけで基本的視点は変えることなく、染色体の研究を貫くことができました。各種霊長類の種特異的な染色体変異を解析することで、新たな染色体分化のメカニズムを検出することができました。海外調査も多くの機会をいただき、海外20ヶ国で実験や試料収集に励みました。研究の進捗によって国内外の多くの共同研究者と交流することができ、研究と人の輪を広げることができました。その「出会いと感動」が私にとって大きなパワーとなりました。退職前の2年間は悠々自適に研究に没頭することができ、研究の面白さ・楽しさを再認識して退職することができました。今後は晴耕雨読の生活を楽しみながら、たまったデータを論文化していくつもりです。

霊長研での在職は私にいろいろな面で大きな発展をもたらしてくれました。研究には何でも自由に考えられる開かれた時空が必要だと思いますが、霊長研の自由闊達な気風は私にはとても有効でした。サル達の喧噪の中での研究は臨場感と充実感を高めてくれました。霊長研の更なる発展を祈念しつつ、感慨をこめて退職の挨拶とします。


所感

人類進化モデル研究センター・川本 芳

私が霊長研に来たのは42年まえの1976年です。当時は大学院生でした。卒業し5年ほど名古屋大学に勤めたのを除けば, 37年霊長研におりました。

院生になった1976年は大学院創成期で, 初めてM1からD3までの学年がそろった年でした。霊長研設立の1967年から, 大学院制度がはじまる1972年までに5年の遅れがありました。入学してから, この遅れの背景には研究所に大学院生や大学院教育が必要かという議論があったことを聞きました。また, 入学してみるとそもそも「霊長類学」なる学問は存在するかという議論が教員や先輩のあいだでしきりに交わされ, はじめは面食らいそして議論に参加し霊長研の活力を感じるようになりました。多くの院生たちは「霊長類学」はこれから創るものだと認識していました。教員や院生の考えは多様で, 隔てなく議論できたことが楽しい思い出です。しばらく進路に迷い集団遺伝学研究をはじめました。当時研究所は各地のニホンザル生息地で捕獲調査をしていました。生態, 行動, 形態, 生理, 病理, 生化学が専門の内外の研究者たちと調査隊を組み, 頻繁にフィールドを巡るうちに, 自然と技術や考えが習得できました。

理学研究科院生として真理の探求という目標に向けはじめた私の集団遺伝学研究は, 卒業し農学部へ就職したことで転機がきました。名古屋大学農学部家畜育種学教室に入ると, 霊長研と別世界が待っていました。大所帯の研究室で刺激を受け, 大学や研究・教育を考え直すことができました。幸いに就職先では周囲の理解をいただき, 霊長類研究が続けられました。また, 新任地ではじめた在来家畜研究を通じ, 動物と人間や文化への興味が膨らんでゆきました。縁あって1990年に霊長研へ異動することになりましたが, その後も家畜研究は退職まで続けることになりました。

霊長類研究では, 霊長研入学時から指導教員の野澤謙先生, 庄武孝義先生をはじめ, たくさんの方にお世話になりました。野澤先生が着手されたニホンザルの集団遺伝学研究は, 自分のライフワークになりました。野澤先生たちの成果をもとに, ニホンザルの成立過程につき新仮説を提示できたことは貢献になったと考えています。この展開では, 日本各地で活躍するたくさんの方に協力いただきました。フィールドを意識し実験することで真理を探求するという学問のやり方を自分の財産にできたことに感謝しています。

創成期の研究所とくらべると, 現在はいろいろな意味で隔世の感があります。大学の環境は法人化以降大きく変化しました。「霊長類学」なるものはあるかと議論をしていた自分も, いつからか講義や実習でためらいなく「霊長類学」と口にするようになり, 私たちの進める研究が「霊長類学」だと自負するところもあります。一方, 変わらないこともあります。長きにわたり居心地よく, 楽しく研究ができたのは霊長研が初めから多様な人材を受け入れ, 時代の変化にもうまく適応しながら研究と教育の拠点を運営, 発展させてきたからです。特に, この研究所の共同利用・共同研究は私にとってとても大事な機会をたくさん与えてくれました。現在では国内だけでなく国外へもこの活動は広がり, 霊長研の存在意義をさらに強固にしています。霊長研は2018年度に国際共同利用・共同研究拠点化へ応募し, こうした活動をさらに発展させるとうかがっています。この動きを加速するとき, 霊長研が積みあげてきた経験, なかでも自国の野生霊長類ニホンザルの研究・教育経験が役立つことを願います。

私はニホンザルの成立仮説を考えるなかで, 先輩との自然観のちがいを意識するようになりました。平衡状態を前提に観る自然だけでなく, 動的な自然の姿を考える研究も大事ではないかという意識です。そう考えはじめたときに, ニホンザルと外来種の交雑問題に直面しました。また, 国の野生鳥獣保護管理の方針転換で, ニホンザルとの共存の在り方を変える時代に突入しました。こうした変化から, 基礎研究だけでなく, それを応用した野生ニホンザルの保全遺伝学研究の必要性を感じるようになりました。もはや人間の影響を受けない地球環境などないという考えが広まり, それを反映した地質年代の用語「人新世」も流布されています。私の行ってきた霊長類研究は今後何の役にたつのかと問うとき, 外来種問題や人との共存の在り方が, 身近で大事な研究課題になることは疑いありません。そして, 野生霊長類ニホンザルをもつ日本は, まさにこうした課題へ積極的に取り組むべき状況だと思います。アジアをはじめ霊長類原産国には日本と共通するこうした問題に悩む国がたくさんあります。これからの研究では, ぜひこうした状況も視野に入れながら研究を創り, その成果を還元してくださるよう願います。

情報技術や人工知能の発達で社会の仕組みが変わりつつあります。大学や研究所の使命も同様です。データ分析, 体系的な操作, 特別なスキルや知識が不要な仕事や職業は, 人手から機械に頼ることが多くなります。一方で, 他人との相互理解, 交渉, 協調, サービスを通じて抽象的な考えを整理し創生する仕事や職業は, 今後も機械に肩代わりさせにくいと考えられています。こうした変化の時代に, これから「霊長類学」の研究所はどういう道に向かうのか, 希望と不安の混じった気持ちです。こういう時代に思い返すと, 私が創生期に経験したスタートラインに立つという意識をもつことが大事だと思います。現在「霊長類学」はあるといえばあるのでしょうが, その学問はまだこれからも時代や社会の変化を見据えて変化・発展するものであることを願います。

霊長研の更なるご発展と皆様のご健勝, そして一層のご活躍を祈ります。

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