京都大学霊長類研究所 年報
Vol.40 2009年度の活動
共同利用研究
研究成果
(1) 計画研究
1-1 ヒト・チンパンジー間におけるエピゲノム・バリエーションの網羅的解析
一柳健司,佐々木裕之,新田洋久(国立遺伝学研究所)
対応者:平井啓久
ヒト・チンパンジーゲノム間の塩基配列の違いはわずか1%強であるが,表現型には大きな違いがある.本研究では,遺伝子発現と関連の深いDNAメチル化パターンの相違を探索するため,チンパンジーおよびヒト白血球細胞のDNAを解析した.チンパンジー標本には4個体の雌(プチ,ペンディーサ,アイ,クロエ)の血液標本を用い,ヒト血液標本は国立遺伝学研究所にて得た.これらのDNAメチル化プロファイルをヒトゲノムタイリングアレイ(染色体21,22番)で解析し,ヒトとチンパンジー間で明らかにメチル化状態の異なる領域を約20カ所同定した.さらに,それらの近傍遺伝子の発現量を両種で比較し,メチル化状態の変化に伴って発現量が大きく異なるものがあることを明らかにした.興味深いことに,その中には白血病やアルツハイマー病など,チンパンジーではほとんど発症しない疾患に関係する遺伝子も含まれていた.今後はさらに解析領域を全ゲノムに広げるとともに,ゲノム多型との比較などにより,いかにしてエピジェネティクス差が生じたのかという問題にも切り込みたい.また,エピジェネティク差,発現差があった遺伝子について,それらの表現型への影響も解析を進める予定である.
1-2 精密赤外分光法による霊長類の錐体視物質の光受容機構解明
神取秀樹 ,川鍋陽,片山耕大 ,山田啓介 (名古屋工業大)
対応者:今井啓雄
我々の視細胞外節に発現する光受容タンパク質は明暗を感じるロドプシン及び色を感じる錐体視物質の2種類に分類される.ロドプシンは,ウシやイカから大量の試料が調製できることからこれまでに多くの研究が行われてきた.X線結晶構造解析による立体構造もすでに得られており,我々が明暗をどのようなメカニズムで認識しているのか,原子レベルでの構造情報をもとに理解が深まっている.一方,錐体視物質の研究は試料調製が困難であるため,X線結晶構造解析を含む構造生物学的解析はほとんど例がなく,我々の色識別メカニズムは謎のままであった.本研究では,霊長類
(サル)
の赤・緑感受性視物質を培養細胞を用いて発現・精製し,高精度の赤外分光計測を用いた構造解析を試みた.錐体視物質の発現量はロドプシンと比較して少ない上に,試料の熱安定性や光退色の問題など実験は予想通り困難であったが,試行錯誤を繰り返した結果,世界初となる構造解析に成功し,以下の知見を得た.
光を吸収するレチナールの構造は,赤・緑感受性視物質の間で類似していただけでなく,ロドプシンともよく似ていた.一方,レチナール周辺のタンパク質構造は赤・緑感受性視物質の間で類似していたがロドプシンとは完全に異なっていた.赤・緑の類似性は両者のアミノ酸の一致度の高さからも予想されたことであるが,異なる振動バンドも見出すことができた.これらの信号が赤と緑で30
nm異なる色識別を構造的に担っているものと解釈される.今後は,変異タンパク質を用いて振動バンドの帰属を行いたいと考えている.
1-3 チンパンジー嗅覚受容体の多型解析
松波宏明 (Duke University Medical Center),Hanyi
Zhuang(Shanghai Jiaotong University)
対応者:今井啓雄
我々はヒトの嗅覚受容体について一塩基多型による個人差があることを発見し,におい識別能との関係を明らかにしてきた.また,その進化的背景を探るために様々な霊長類の嗅覚受容体の遺伝子配列と機能的な差異を精査した結果,同じ受容体でも種により遺伝子配列や特異的なにおいに対する反応性が異なることを解明した.特にチンパンジーではヒトよりも感受性が高い受容体が存在するため,その機能的な意義を明らかにすることを目指した.具体的には霊長類研究所内で飼育されているチンパンジー14個体に対して,様々な濃度のAndrostenoneにより刺激した際のにおい識別能について,Androstenoneを含まない刺激と区別できるかどうかを検討した.今年度の結果では,このにおいに対する特有の行動を観察することはできなかった.
1-4 霊長類味覚受容体の同定と味覚修飾物質による甘味増強・酸味抑制機構の解明
石丸喜朗(東京大・院・農学生命科学)
対応者:今井啓雄
行動学的な二瓶嗜好テストと電気生理学的な味神経応答解析から,人工甘味料アスパルテームやサッカリンを甘味として感じるか否かは,進化的には旧世界ザルと新世界ザルの間に境界があると報告されている.本研究では,その分子機構に関する知見を得ることを目的として,アカゲザルとコモンマーモセットの甘味受容体T1R2/T1R3を同定し,培養細胞発現系を用いた機能解析とin
situハイブリダイゼーション法による遺伝子発現解析を行った.
まず,RT-PCR法,3'-RACE法,及び,オーバーラッピングPCR法によってゲノムDNA由来のエキソン領域を連結する方法を用いて,T1R2とT1R3のコード領域全長をpBluescriptベクターやpEAK10発現ベクターに挿入した.次に,T1R2とT1R3をGタンパク質G16/gust44と共にHEK293T細胞に発現させて,様々な甘味物質に対する応答をカルシウムイメージング法を用いて解析したところ,行動学的・電気生理学的解析における知見と良く一致する結果が得られた.すなわち,甘味受容体の異なる種間におけるアミノ酸配列の違いが,甘味物質に対する感受性の有無を決定することが明らかとなった.最後に,アカゲザル味蕾における発現解析を行ったところ,T1Rファミリーと酸味受容体候補PKD1L3は,茸状・葉状・有郭乳頭全てで発現していた.今後,味覚受容体遺伝子間の発現相関解析を行うことを計画している.
1-5 ゲノム解析によるテナガザル類の種分化過程の解明
天野(早野)あづさ(京都大・院・理)
対応者:平井啓久
テナガザル類は短期間のうちに非常に多くの種に分化し,東南アジアの熱帯雨林に適応放散した進化生物学的に興味深い分類群である.しかし,調査や試料採集が困難であるため多数のサンプルに基づいた遺伝学的研究は少ない.本研究では,貴研究所の共同研究プロジェクト等で採集されたフクロテナガザルのDNAサンプルが多数蓄積されて来たことに注目し,それらのサンプルについてミトコンドリアDNA(mtDNA)
のコントロール領域の塩基配列を決定し配列変異の解析を行ない,集団内の遺伝的組成や遺伝的多様性について評価することを目的とした.2003,2005,2006および2008年にインドネシア各地の動物園等で飼育されていたフクロテナガザル34個体の血液サンプルから抽出されたDNAを解析に用いた.これらの個体は全てインドネシアスマトラ島産であると考えられる.MtDNA塩基配列決定は,Ross
and Geissmann (2001, Mol. Phylogenet. Evol. 19:486-494)
に記載のプライマーセットを用いてコントロール領域全域を含む約1,200塩基対のDNA断片をPCR法により増幅し,Andayani
et al. (2001, Coserv. Biol. 15:770-775)
に記載のプライマー4種類をもちいてサイクルシーケンス法により得られた産物をABI3130XLオートシーケンサーで分析することにより行った.今後は外部形態に差異が見られるといわれるマレー半島産のフクロテナガザルの解析を加え,フクロテナガザルの遺伝的組成の地域差や地理的分化の過程について解明していきたい.
1-6 生体防御系の霊長類比較ゲノム研究とその機能解析研究
安波道郎(長崎大・熱帯医学研究所)
対応者:平井啓久
マカク属霊長類に属するアカゲザル,カニクイザル,ニホンザルは,ヒトの疾患を反映するモデルとして病態解析や治療法開発に有用である.これら3種のマカク属霊長類は共通の祖先に由来しているが,種分化に加え種内においても,熱帯感染症感染因子など生息地域によって異なる環境の影響下に,生体防御系の遺伝子に多様性を生じているものと想定される.
これまでに獲得免疫における個体の特性を規定する主要組織適合性複合体(MHC)クラスIの複雑な多様性を解析する方法を開発したが,免疫が成立する以前に宿主に元々備わっている感染因子に対する自然抵抗性に関しても,遺伝的に規定される個体差があると考えられる.ヒトやマウスではToll様受容体TLR2およびTLR4の変異や多型が細菌や真菌由来の物質の認識を変化させることから,3種のマカク属霊長類についてTLR2およびTLR4遺伝子の塩基配列を解析し,種内および種間での非同義置換頻度を評価した.その結果,遺伝子全体では機能的制約によって非同義置換は頻度が低い傾向にあるが,局所的に非同義置換の集積する部分が認められた.この部位のアミノ酸置換の分子機能への効果を解明する目的で,数種類のTLR2およびTLR4をHEK293細胞に強制発現させ,それぞれのリガンドである合成リポペプチドおよびグラム陰性桿菌のLPSへの応答を検討したが,応答能には大きな違いは見られなかった.
[文献] 発表準備中
1-7 霊長類アルコール分解酵素遺伝子の重複とクラスターの進化
太田 博樹(東京大・院・創成科学研究科)
対応者:平井啓久
地球上の原核生物を含む多くの生物がアルコール加水分解酵素(ADH)を持っており,生命維持にとってごく基本的な酵素であると同時に真核生物においては栄養摂取および代謝に関して重要な役割を果たしている.ヒトゲノム中には5クラス7つのADH遺伝子が存在する.マウスも同数のADH遺伝子を持っているが,ヒトではそれぞれのADHが異なる基質活性と組織特異的発現を示すのに対し,マウスでは全ての酵素がヒトより広範囲に(非特異的に)発現していることが知られている.また,ヒトでは肝臓で特異的に発現する3つのクラスI遺伝子がエタノールの代謝に最もよく関わっているが,マウスではクラスI遺伝子が1つしか存在しない.本研究では,ヒトを含む霊長類でADH遺伝子がどのように遺伝子重複し,そのクラスターが進化してきたかを明らかにすることを目的とし,旧世界ザル3種,新世界ザル2種,原猿2種とコウモリのADH遺伝子クラスター全体(ヒトで約380kb)をカバーするBACクローンのショットガン塩基配列決定を行う.
平成20年度までにバブーンのADH遺伝子クラスター全長の決定が完了し,さらにアカゲザル,ミドリザル,ワオキツネザルの各BACクローンのドラフト・アセンブリーが完了した.平成21年度は,これらの完成度を上げるためGapを埋める作業をすすめ,霊長類の食性とADH遺伝子重複を議論するための解析を進めた.これらの解析結果は,生物多様性国際会議「霊長類のゲノム多様性研究」(平成21年3月4日(木)~6日(土)犬山国際観光センター「フロイデ」)にて,"Alcohol
metabolism related genes evolution"のタイトルでHiroki
Oota(共同利用代表研究者)が発表した.また平成21年11月には霊長類研究所でのニホンザル採血に立ち会い,これらの血液試料からDNA抽出を行った.さらにワオキツネザルでは新たに5つの
BAC clone のshotgunを進めている.
2-1 ヒト,チンパンジー,ヒヒ,マカクにおける脳形態の発達的変化に関する比較研究
酒井朋子(京都大・理・生物科学)
対応者:友永雅己
二次性徴の発現が観察された子どもチンパンジー3個体とオトナチンパンジー2個体を対象に,脳MRIの撮像を行った.また,これまでの生後,6か月から6歳までの子どもチンパンジーにおける脳の発達様式を調べ,ヒトのデータを合わせることで,比較解剖学的観点から,ヒトの脳の発達様式の特異性があるかどうかを明らかにした.大脳の発達様式では,2歳までの生後初期の急激な成長速度の維持は,ヒトとチンパンジーの共有派生形質である可能性が高いことを示唆した.前頭前野の発達様式では,ヒトの前頭前野の発達は特異的に遅延しているというこれまでの定説を否定し,チンパンジーにおいても前頭前野の神経連結の精緻化が性成熟の時期を超えて延長されることを明らかにした.脳梁の発達様式では,これまでの研究で捉えることのできなかった,チンパンジーにおける前頭前野と連結する脳梁の神経繊維構造の発達様式を特徴づけることに成功した.扁桃体の発達様式では,ヒトではチンパンジーと異なりその発達期間が延長され,ヒト固有のより高度な情動発達や社会的知性を支えることを示唆した.
また,拡散テンソル撮像法(DTI)による,霊長類ホルマリン脳標本を対象とした,チンパンジーの神経ネットワークの形成過程の解明にむけて,DTIの準備および試験撮像を行った.今年度は,チンパンジー・サンクチュアリ・宇土の新生児および成体チンパンジーの脳標本の確保を行った.試験撮像では,平成21年10月に
(株) 国際電気通信基礎技術研究所 (ATR)
脳活動イメージングセンタで試験撮像を行い,適切なDTI撮像プロトコールを確立した.
2-2 チンパンジーの顔知覚における全体処理優先性の検討
後藤和宏(京都大・こころの未来研究センター)
対応者:友永雅己
本研究では,チンパンジーが顔を知覚するときに,目や口といった顔を構成する要素だけではなく,それらの要素の組み合わせが創発する全体性を要素そのものよりも優先的に知覚するかどうかを検討した.チンパンジーは,0秒遅延見本合わせ手続きを用いて,目,口の弁別を訓練された.要素条件では,まず個体Aの目だけを見本刺激として呈示し,比較刺激として個体AおよびBの目だけを選択肢として呈示した.全体条件では,まず,個体Aの目を個体Cの顔面に配置した見本刺激を呈示し,個体AおよびBの目をそれぞれ個体Cの顔面に配置したものを比較刺激として呈示した.比較刺激から,見本刺激と同じものを選択すると正解となり,正解反応のみが餌により強化された.もしチンパンジーが顔知覚において,創発的な全体性を知覚していれば,要素条件よりも全体条件で,正答率が高くなることが予測される.実験デザインは,上述の要素・全体条件を,チンパンジー,ヒトの2種類の顔写真を正立・倒立方向で呈示する3要因計画とした.結果は,顔の種類,正立・倒立にかかわらず,全体条件よりも部分条件で正答率が高かった.また,ヒトよりもチンパンジーの顔で正答率が高く,呈示方向の効果はなかった.これらのことから,チンパンジーの顔知覚において,要素の組み合わせが創発する全体性が要素そのものより優先的に処理されることを示唆する結果は得られなかった.
2-3 顔認識システムを応用したチンパンジー複数個体同時実験システムの構築とその活用
田中由浩,佐野明人(名古屋工業大・機能工学),
藤本英雄(名古屋工業大・情報工学)
対応者:友永雅己
本研究では,顔認識システムを用いたチンパンジーの自動個体同定装置の開発を行った.近年,画像処理技術の中でも,顔認識・同定システムの進歩は著しい.デジタルカメラ類では顔認識機能の装備が標準的になり,セキュリティ面においてもバイオメトリクス(生体認証)の有力な候補となりつつある.この技術は,これまで侵襲的なチップ埋め込みに頼ってきたサル類の自動個体識別にも革新的な変化をもたらす可能性がある.また,屋外の放飼場等で複数個体が自由に実験装置にアクセスできる状況下での個体識別とそれに応じた実験管理も可能となる.
まず,霊長研において稼動しているチンパンジー実験室にビデオカメラを設置し,チンパンジーが認知実験を行っている様子を撮影,顔画像データを収集した.続いて,これらの画像を学習データとし,Haar-like
特徴を利用した顔検出を実装し,さらに,検出した顔に対する個体識別に,線形判別分析(LDA)を採用し,リアルタイムの個体同定システムを構築した.7個体について,個体識別用に各々9つの参照画像を準備し,プログラムを実装した結果,個体によっては,高い認識率を得られた.しかし,照明やパネルの写りこみなどの影響によりロバストなシステムには至っていない.今後,画像の取り方,よりロバストに起こりうる参照データを構築し,本システムの実用化を図るとともに,これを応用した認知実験を実施したい.
2-4 チンパンジーおよびニホンザルにおける物理的認識の特徴に関する検討
村井千寿子(玉川大・脳科学研究所)
対応者:友永雅己
前年度までの研究から,ニホンザルおよびチンパンジーが①対象・土台間の接触の有無②接触の量に注目して,「対象が適切に支持され落下しない」可能支持事象と「対象が適切に支持されていないが落下しない」不可能支持事象とを区別することがわかった.しかし,その一方で,③支持の方向性についてはそのような証拠は得られなかった.つまり彼らは,対象が土台の上ではなく横に接地している場合でも,対象は落下せずに支持される,という誤った予測をした.その原因のひとつとして,ヒト以外の霊長類が支持の方向性よりも対象同士の接触量に鋭敏である可能性が考えられる.そこで本研究では,ニホンザルを対象に,土台と対象間の接触量を統制した支持方向性違反事象を用いてこの可能性について検討した.ある事象では,対象は土台の側面に十分に接触していたが,別の事象ではその接触量は極端に少なかった.もし,被験体が接触量に注目しているのであれば,後者の場合には事象内の違反に気付くと予想される.選好注視法を用いて事象への被験体の注視時間を比較した.しかし,両事象への注視時間に有意な違いは見られなかった.今後,新たな可能性について検討することで,ヒト以外の霊長類がもつ支持事象認識の特徴を明らかにしたい.
2-5 空間的注意課題を用いた視覚的風景認知の霊長類的起源
牛谷智一(千葉大・文)
対応者:友永雅己
視覚的風景認識の初期過程には,様々な知覚的体制化や奥行きの認識が含まれるが,今年度は昨年に引き続き透明視について調べた.空間的注意課題を用いたこれまでの実験では,標的刺激への反応時間は,先行刺激が標的と同じ物体内に出現したときに短くなることが確認されている(オブジェクトベースの注意).今回の実験では,モニタ上に2つの長方形をX型に重ねて配置した隠蔽条件,隠蔽図形と同じ図形配置だが,一方の長方形が透けてもう一方の長方形が見えるような輝度配置になっている透明視条件,そして,透明視条件と同じ輝度配置だが,輪郭の配置をずらすことにより,長方形が分断されたように見える間隙条件の3条件でテストした.チンパンジーの標的への反応時間は,隠蔽条件と透明視条件で間隙条件よりも短くなった.このことは,チンパンジーが透明視を知覚し,透明視によって1つとなった物体全体を賦活するような注意過程があることを示唆しているが,条件間の反応時間の差は,先行刺激と標的が2つの長方形のうち明るい長方形に出現する条件では有意ではなかった.そこで,刺激の輝度を調整して再度実験したところ,今度はどちらの長方形に出現したときでも,透明視を示唆する反応時間のパターンが得られた.
2-6 動物"パーソナリティ"の生物学的基盤に関する種間比較研究
今野晃嗣(東京大・院・総合文化)
対応者:友永雅己
本研究の目的は,動物の"パーソナリティ(以下,性格とする)"の測定とその生物学的基盤について多面的アプローチにより明らかにすることである.昨年度までに,飼育スタッフの評定に基づいて飼育下の霊長類(ニホンザル)や鯨類(バンドウイルカ・ベルーガ)の性格を測定した.その結果,尺度の内的整合性及び複数の評定者間の信頼性が高いことが示され,動物の性格評価を行う際にも心理測定学的手法が有効である可能性が示唆された.今年度は,劇的な環境変化が飼育下動物の行動パターンにどのような影響を及ぼすかといった応用的問題を検討するために,チンパンジーサンクチュアリ宇土(CSU)から京都市動物園に移送された4個体のチンパンジーを対象に行動観察とQuality
of Life (QoL)の評価を行った.行動については1分毎の行動データを収集して各個体の日常的行動配分を調べ,QoLについてはWHOのチェックリストに基づいた質問紙を用いて飼育スタッフが各個体のQoLを評価した.移動前(CSU),移動後(京都),移動後半年後(京都)の3地点において継続的な記録を行った結果,移動前後の行動に関して顕著な個体差が見られた.オトナオス1個体とオトナメス1個体の行動パターンは移動前後で比較的安定しており,時間の経過につれてQoLも増加する傾向にあった.一方,他のオトナメス1個体と人工哺育の若メス1個体は移動が増加したり屋外運動場に出なかったりといった行動が頻出したことに加え,とくに心理学的領域のQoLが移動前よりも減少傾向にあることが示された.
2-7 チンパンジーの描画行動に関する研究
齋藤亜矢(東京芸大・映像)
対応者:林美里
描画行動の認知的な基盤とその進化的な起源を明らかにするため,
霊長類研究所のチンパンジーとヒト幼児約30名を対象に比較認知科学的研究を継続している.これまでの研究では具体的な物の形を描く表象描画の起源に焦点をあてており,刺激図形を用いた課題場面の設定により描画行動を解析してきた.今年度はより詳細な解析を可能にするため,タブレットPC用の描画解析ソフトの開発,および刺激図形の準備を進めた.またなぐりがきから表象描画への移行期のヒト幼児が,顔などの表象を倒立や横向きで描く「さかさ絵」についての研究もおこなった.縦断的な描画観察から出現頻度や年齢をまとめるとともに,刺激図形を用いた描画課題を設定して,さかさ絵がいつ,どのように出現するのかを検証した.さかさ絵が出現しやすい時期の前に,目などの部位が不完全な混沌顔が出現しやすい時期があることから,さかさ絵の出現と幼児の概念形成とのかかわりが示唆された.これらの結果について第21回日本発達心理学会大会で発表した.これまでに共同利用研究でおこなってきたチンパンジーとヒト幼児の描画比較研究についてThe
3rd International Workshop on Kanseiで発表し,「がんばれ!図工の時間」フォーラムでは,一般向けの講演をおこなった.
2-8 光学的流動知覚の比較認知科学的検討
白井述(新潟大・人文)
対応者:友永雅己
生後1-5ヶ月齢のニホンザル乳児を対象に,放射状の拡大・縮小運動の検出における速度感度の発達を選好注視法による実験手続きによって検討した.放射運動(拡大運動か縮小運動のいずれか)パタンと並進運動パタンを繰り返し対提示し,放射運動パタン側を選択的に注視する頻度を分析した.過去数年の間の実験結果を含めて,以下のような結果を得た.すなわち,(1)ニホンザル乳児においてもヒト乳児と同じような拡大検出バイアスが存在すること,(2)ただし,ニホンザルでは刺激パタンの速度が高い場合には,放射運動検出そのものが困難であり,ヒト(パタン対の速度が高いほど放射運動検出の成績が良くなる)とは異なった放射運動速度感度の傾向を持つことが明らかとなった.これらの成果はExperimental
Brain Research誌(2010年,202巻,319-325頁)に原著論文として掲載された.
今後は,チンパンジーなど他の霊長類においても同様の相対運動知覚特性が存在するのかについて実験的な検討を行い,各々の種の生態などとも照らし合わせながら霊長類一般の運動視特性について実証的な研究を継続していく予定である.
3-2 ニホンザルの古分布復元情報としての民俗資料(例:厩ザル)についての研究
三戸幸久(NPO法人ニホンザル・フィールドステーション)
対応者:川本芳
これまで復元したニホンザルの古分布にもとづき,現在調査中の民俗資料:厩ザルの由来地すなわち個体のかつての生活地をどの程度推定でき,古分布の復元に活用できるかを東北地方中心に調査をした.対象とする厩ザルの条件として,その個体が「薬用による所有」,「学校など公共施設内保管」として存在している場合は除外し,おもに「個人の厩に祀ってあったという確証を得た個体」にのみ限定した.
まず,地図上に復元した大正時代以前のニホンザルの古分布地とこれまで確認された厩ザル所在地をあわせてみると,その多くが重なるか隣接していることがわかる.これに現地において聞きとった厩ザル個体由来情報を付加すると,おもに山間部では,地元猟師が活動する場合は地産"地消"といえる状況にあった.
また,平野部における厩ザル個体の由来については山間部とは異なり,より遠くから持ち込まれた可能性が否定できない.しかし,こうした局地的凡恒久的様相をみせる民俗的習俗は,その地帯の自然環境と密接な関わりを持って成り立っているため,地産地消的様相は色濃いとおもわれる.こうした習俗が狩猟圧を引きあげニホンザル分布の縮小に関わりをもっていたことも推測できる.また,とくに藩政時代においては藩による火縄銃管理支配の厳格さと産物の移出入にたいする厳しい規制が布かれていたため,由来時期が明らかに江戸時代にさかのぼるものは,ニホンザルの頭蓋骨が藩外へ持ち出されたり,藩内へ持ち込まれた可能性は低く,藩内の隣接する生息地域から捕獲・由来したものと推定してよいとおもわれる.
これまで京都大学霊長類研究所の川本芳准教授によってすすめられてきた東北地域のニホンザルミトコンドリアDNAによるタイプ・系統調査の結果は,ほぼ斉一的な2~3タイプに収斂されており,本調査結果と矛盾しない.
以上の結果から,「東北地方」という条件付きながら厩ザル個体の多くが所在地地域および隣接地由来のものと判断してよく,ニホンザルの古分布の復元の重要な情報として位置づけることができた.
3-3 東西日本で比較したニホンザル各種パラメータの人為的な影響による変容
三谷雅純(兵庫県立大・自然・環境研)
対応者:渡邊邦夫
現在の日本列島では,二次植生や田畑,住居などの人為的影響によってニホンザルの土地利用や生息密度,さらに繁殖行動に変化が表れる.本研究では,ニホンザルの生息する日本列島の環境を植生に応じて東西にわけ,それぞれを代表する地域の環境で人為的な活動の程度とニホンザルの土地利用,生息密度,繁殖行動などの各種パラメータを定量化し,比較を試みた.その際,インターネットで公表されている各種磁気情報や文献,行政記録などを参考にした.
平成21年度は,平成20年度に引き続き近畿・中国地方を重点的に分析した.既存のデータはArcView
GIS (ESRI)で整備したものであったが,現在は旧来のシステムから大きく変わったArc
GIS (ESRI)を積極的に利用するために,植生や人間の土地利用と人口,気象などの磁気情報を引き続いて整備した.今後はこの結果を公表に結びつけたい.
3-4 下顎犬歯形態の変異からみたマカク属の種間分化について
山田博之(愛知学院大・歯・解剖)
対応者:濱田穣
現生19種もの多様性をもつマカク属でも下顎犬歯形態に何らかの違いがあることが予測される.歯の比較形態といえば大臼歯がよく研究されているが,犬歯に関する研究はほとんどない.それは犬歯の形態にはあまり変異性がないだろうとの予断によるものだ.2009年度の共同利用研究によってマカク属の下顎犬歯形態はオスとメスで大きさにかなり違いがみられるが,形態には上顎ほど性差が無いことがわかった.また下顎犬歯では上顎よりも遠心点角(distal
shoulder)が明らかでないため,上顎のように歯冠近遠心径や頬舌径が計測できず,歯の大きさは歯冠の長径や短径の計測が当てられる.形態については近心辺縁隆線の走行,近心窩の有無,近心隆線の走行,舌側結節の発達程度などにより種間差があることが明らかになった.これら下顎犬歯の形態変異がマカク属の種分化に関係していることが示唆された.
3-5 高崎山及び幸島に生息するニホンザルの栄養状態の把握
栗田博之(大分市教委・文化財)
対応者:濱田穣
高崎山ニホンザル個体群の管理のため,これまで成熟雌の体重と体長(目からシリダコ上端までの直線距離)の計測を進めてきた.高崎山の成熟雌を対象とした体重の計測は年間を通じて行っているが,特に例年集中して行っている10月には,24個体から計測を行った.また,体長計測は,写真計測法により,例年同様9月に実施し,16個体から計測を行った.
平成20年度より宮崎県幸島のニホンザルを対象として,雌個体の体長計測を写真計測法により実施しており,平成21年度は2月(平成22年2月)に実施し,21個体の雌から計測を行った.分析は今後行う予定である.
昨年度までに,体重と写真計測法による体長から,体脂肪率を反映した体格指数の算出がほぼ完成しており,今後は平成21年度まで収集したデータから,体格指数を算出し,その個体ごとの縦断変化及び個体群としての年変動を分析する予定である.
また,高崎山雌ニホンザルを対象としたこれまでの蓄積データに基づいて,加齢に伴う体重と体長の変化を検討したところ,体重は15-20歳時よりも21歳以上では有意に軽くなっていた一方で,体長では変化が検出されなかった.
3-6 マカク毛色遺伝子の構造解析
山本博章,上原重之,西原大輔 (東北大・院・生命科学)
対応者:川本芳
本計画は,マカクの毛色発現を決める遺伝子群のアレル解析を行うために,まず野生集団が示す毛色を保障する遺伝子基盤を明らかにすることを第一義的な目的とした.それをもとに種内,種間の変異解析を行い,当該サル類の多様性と進化についての理解に繋げることも長期的な目的となる.マウスでは当該毛色関連遺伝子座の記載がすでに300座近くになり,年々増加傾向にある.その内すでに塩基配列レベルで同定されているのは約100遺伝子座である.これらの情報を利用して,比較的当該情報の少ないニホンザルオルソログの解析を進めるために,皮膚cDNAライブラリーの作製から開始した.これまで,採取後凍結保存しておいた皮膚試料や,そこからトータルRNAを調製し同じく凍結保存しておいた試料からmRNAを調製しライブラリー作製を試みてきたが,十分なタイターをもつライブラリーが得られていなかった.この過程の検証から,最初のRNA抽出を工夫し,さらに操作の容易さでこれまで用いてきたプラスミドベクターからファージベクターに変えることで,ようやくスクリーニングに耐えるライブラリーを得ることに成功した.予備的な結果では,メラニン合成の鍵酵素・チロシナーゼcDNAの長いフラグメントを得ることができ,ニホンザル毛色関連遺伝子のcDNAクローニングの基盤ができたと期待している.
3-7 野生ニホンザル個体群の遺伝的交流に関する基礎研究
清野紘典(野生動物保護管理事務所)
対応者:川本芳
個体群の孤立や交流については複数の標識遺伝子を利用し,群間移住する個体の動きをモニターすることが概念的に提唱されているがその実践例は少ない.本研究では野生ニホンザルの群れが外部とどの程度遺伝的交流を保持しているか定量的に把握するため,遺伝的多型の変異分布が既にあきらかとされている滋賀県に生息するニホンザルの群れ1群に焦点をあて,Y染色体マイクロサテライトDNAとミトコンドリアDNAがオスの移住を介して群内で交流する実態をあきらかにすることを目標にしている.
滋賀県に生息する野生群1群(約260頭)から同時期に133頭分の血液をサンプリングした.このうちオス59個体(オトナ8個体,ワカモノ3個体,コドモ48個体)のY染色体マイクロサテライトDNAを分析した結果,10種のハプロタイプが検出された.これらは,全県に分布する既知の代表的なハプロタイプと一致した.なお,これらオス個体のミトコンドリアDNAは現在分析中であるが,調査群生まれの個体がもつタイプ以外に複数のハプロタイプを検出している.今後は,調査群に在籍するオスについて出自と繁殖状況を評価し,オスを介した交流の実態についてさらに解析を進める予定である.
3-8 保護管理を目的としたニホンザルの遺伝学的解析
森光由樹(兵庫県大・自然・環境研/森林動物研究センター)
対応者:川本芳
兵庫県に生息している6つの群れ(美方,城崎,大河内,篠山A,篠山D,船越)に所属しているメスの個体について,ミトコンドリアDNA
D-Loop第1可変域,第2可変域の分析を行ったところ,各群れ,それぞれ異なるハプロタイプを示した.
これらハプロタイプの違いを解析すると,遺伝的距離から美方や城崎の群れと篠山の群れ間で早い段階から隔離分断されていた可能性が考えられた.理由として,最終氷期に分断隔離された地域個体群に生じた分化が反映している可能性が,考えられた.しかし,過去の生息情報を考慮すると,古くから捕獲圧が高い地域が多く,群れの消滅も多いことから,別に捕獲の影響も原因と考えられる.今年度は,6つの群れに所属している成獣オス8頭のミトコンドリアDNAを分析したところ,第1可変域,第2可変域ともに所属していた群れの成獣メスと同じハプロタイプを示し,調査群間のオス移住の証拠は得られなかった.今後は,さらに,オスのサンプルのミトコンドリアDNAの分析を進めるとともに,地域個体群間での遺伝子の交流についてその他の遺伝子マーカー核遺伝子を用いて評価を進める予定である.
3-9 伊豆大島の外来マカク種に関する遺伝学的調査
佐伯真美,白井啓(野生動物保護管理事務所)
対応者:川本芳
本研究は東京都伊豆大島に生息するタイワンザルの基礎データを得ることを目的に,島内のタイワンザル個体群の遺伝学的集団構造について調査を行った.
伊豆大島には1939年から1945年にかけて島内の動物園から逸走し野生化したサルが生息しており,現在,島の中央を除くほぼ全域に群れが分布している.これまでの共同利用研究で,島内のタイワンザルのミトコンドリアDNA(mtDNA)Dループ第1可変域(520塩基対)および第2可変域(202塩基対)を解読し,それぞれ2つのハプロタイプ(A・B)を検出した.ハプロタイプの地理的分布状況には偏りが見られ,逸走元である動物園を境にAタイプは時計回りに,Bタイプは半時計周りに分布拡大したように観測された.
今年度の研究では,有害駆除や学術捕獲で得られた約100個体のDNAサンプルを用いて常染色体マイクロサテライト11遺伝子座,Y染色体マイクロサテライト3遺伝子座の解析を行った.常染色体マイクロサテライト11遺伝子座は全て多型性を示し,計44個の対立遺伝子が検出された(平均4個).全遺伝子座において有意水準5%でハーディ・ワインベルグ平衡が成立した.mtDNAハプロタイプでは地理的分化が見られたが,常染色体遺伝子の結果では島内に分集団化は見られず,大島個体群はひとつの繁殖単位である可能性が示唆された.またY染色体マイクロサテライト3遺伝子座の解析の結果,2つのハプロタイプを検出した.2タイプの地理的な出現頻度に有意な差は見られなかった.今後はサンプル数を増やし,島個体群の連鎖不平衡やボトルネックの兆候について研究したい.
3-10 静岡県愛鷹地域に生息するニホンザルの遺伝的多様性・地域分化及び保全
大橋正孝(静岡県森林・林業研究センター)
対応者:川本芳
静岡県愛鷹地域のニホンザルについて,周辺地域からの分化,孤立状況を定量化することを目的に,有害捕獲などにより得られた55個体(うち愛鷹地域4個体)について,ミトコンドリアDNAのDループ第1可変領域512塩基対の配列を調べた.この結果に昨年度の15個体(うち愛鷹地域9個体)分の結果を加え,Clustalx2.0.10で配列の比較を行い,遺伝距離に基づきNJ法によりnjplotを用いて類似図を作成した.
その結果,大きくは,南アルプス・愛鷹地域と伊豆地域の2つに区分され,22(うち県内は20)のハプロタイプが存在した.
また,同じ試料のうちオス31個体(うち愛鷹地域4個体)については,オスの拡散を介した地域個体群の遺伝子交流を反映していると考えられるY染色体遺伝子について,川本により個体変異が確認されている3つの遺伝子座について分析を行ったところ,3座位の多型の組み合わせから11タイプが確認された.
今後は試料を充実させ,マイクロサテライト遺伝子についても分析を行い,オスの遺伝子交流から多様性や地域分化について明らかにする.
3-11 分子生物学的解析によるニホンザル腸管寄生虫相の地域変異
藤田志歩,佐藤宏(山口大・農)
対応者:川本芳
野生ニホンザルから検出される腸管寄生虫相の構成および各寄生虫の検出率は,地域変異がみとめられることがこれまでに報告されている.しかし,糞線虫,鞭虫,蟯虫,旋尾線虫類といった腸管寄生虫の一部は形態的鑑別が難しいため,従来の方法では類縁の種が混在する可能性も指摘されているため(Satoh
et al., 2005),このような地域変異については再検討する必要があると考えられる.本研究は,あらたに開発した分子生物学的手法を用いて,各地域の野生ニホンザルに感染する腸管寄生虫の種鑑別を行うとともに,種内変異についても調べ,ニホンザルの生息環境と腸管寄生虫相との関連について明らかにすることを目的とした.材料は,青森県下北半島,宮城県金華山島および鹿児島県屋久島において,野生ニホンザルから新鮮便を採取し,従来の方法により虫卵を分離した.また,糞便を培養して幼虫を得た.さらに,自然死亡個体および交通事故死亡個体の腸管から虫体を採取した.得られた寄生虫のうち,とくに鞭虫について,18S
rDNAの配列による分子遺伝学的解析を行った.その結果,鞭虫については少なくとも2種類のタイプが見つかり,地域特異的な種内変異があることが示唆された.ニホンザルから検出される腸管寄生虫について,地域特異的な種内変異が明らかになったのは本研究が初めてであり,今後,同地域に生息する他の動物種の寄生虫のタイプと比較して,自然環境下での伝播経路について明らかにするとともに,近縁寄生虫種の遺伝学的情報を収集して,宿主と寄生虫との共生関係についても調べる予定である.また,今回検出された鞭虫以外の種(Streptopharagus
pigmentatus, Strongyloides fulleborni, Bertiella studeri,
Oesophagostmum aculeatum
など)についても,種内変異の検出に有用な遺伝子マーカーを用いて,現在分析を進めている.
3-12 ニホンザル屋久島個体群の保全生態学的研究と遺伝学的研究
早石周平(琉球大・教育センター)
対応者:川本芳
鹿児島県屋久島に生息する野生ニホンザルの保全を目的として,有害捕獲されるニホンザルの捕獲実績について,関係官庁から提供を受けた行政区ごとの捕獲統計資料が五か年分となり,全島で被害状況に応じた捕獲状況が分かってきた.この資料に基づき,先に行ってきた流域ごとの個体群存続可能性分析の結果と照らし合わせて,行政区ごとに電気柵等の設備の設置・管理,または追払いの対策を関係官庁に提言するために分析を進めている.有害捕獲に関わる予算,従事者負担を軽減するとともに,屋久島個体群を保全するうえで局所的に高い捕獲圧を避けることも目的である.
捕獲個体の組織片を地元猟友会から提供してもらい,地域的に偏りのない試料収集を続けている.これらの試料については,遺伝的な性判別を行い,ミトコンドリアDNAのD-loop領域の第1可変域と第2可変域,オス由来試料についてはさらにY染色体のマイクロサテライト分析を行う準備を進め,昨年度までに得られたミトコンドリア8ハプロタイプ,Y染色体マイクロサテライト5ハプロタイプとあわせて,地理的な遺伝的交流について分析を進める予定である.遺伝的交流を解明し,オスの分散を含めて,全島での個体群保全策を検討している.
3-13 中部山岳地域に生息するニホンザルのミトコンドリアDNA変異
赤座久明(富山県自然保護課)
対応者:川本芳
過去の共同利用研究で,富山,新潟,長野,岐阜の中部4県の山岳地域に生息するニホンザルの群れから,ミトコンドリアDNAのDループ第2可変域(412塩基対)について,6タイプの塩基配列の変異を検出した.石川県白山山麓に生息するニホンザルの群れのミトコンドリアDNAタイプについては,群れを対象にした分析資料が無く,上記4県の群れとの類縁関係の詳細は不明であった.そこで,群れの生息域として知られている,石川県手取川上流域の一里野と中宮温泉周辺で採集した19個の糞を試料として分析した.分析の結果,第2可変域については,19個の試料すべてから,近畿地方から北陸地方にかけて広く分布しているJN21タイプを検出した.更にこの試料を用いて第1可変域(575塩基対)を対象にして分析したところ,2つのハプロタイプを検出した.19個の試料のうち18個が同じタイプ,1個が別のタイプであったが,両方タイプともこれまで他の地域で検出されたことが無いハプロタイプである.近畿,中部地方の日本海側に分布するJN21タイプと近縁関係にある群れの分布が示唆された.
4-1 現生および化石コロブス類における進化形態学的研究
小薮大輔(東京大・院・理学系)
対応者:高井正成
コロブス亜科霊長類の顔面頭蓋には顕著な種間形態変異が存在することが知られてきたが,その形態学的多様性の適応的意義は十分に解明されてこなかった.一方,近年の生態学的研究の進展によってコロブス亜科の食性は種間で顕著に変異することが明らかになってきた.そこで,我々はコロブス亜科の顔面頭蓋における形態変異と食性変異のパターンを検討し,形態変異は食性に対する適応進化を反映するかを検証した.接触型三次元形状デジタイザーを用いて取得されたデータから各種の頭骨の三次元モデルを構築し,幾何学的形態測定法を用いて,霊長類において頭骨が系統発生学的,進化生態学的文脈のなかでどのように多様化してきたのかを定量的に記述しつつある.さらに,機能形態学的な観点からコロブス亜科およびテナガザル科の三次元的咀嚼運動および咀嚼力の種間変異を定量的に解析し,系統発生学的な拘束によるパターンと食性変異(果実食性,若葉食性,成熟葉食性,種子食性,雑食性)によるパターンを議論した論文の執筆が進行中である.また,現生コロブス類における食性と形態の対応パターンを元に,神奈川県から発見されたKawagawapithecusの頭骨化石の食性推定解析を開始した.
4-2 霊長類椎骨における三次元画像の電脳解析
東 華岳(岐阜大・医)
対応者:高井正成
本研究は,ヒトに最も近縁な霊長類を用いて,その椎骨の微細構造の加齢変化を調査し,ヒトと比較検討する.3歳から26歳までのニホンザル81個体(おす38頭,めす43頭)の第3腰椎の乾燥骨標本をマイクロCTで観察し,画像解析ソフトウェアを用いて,腰椎椎体における海綿骨の三次元骨形態計測を行った.また,基準ファントムを利用して,腰椎椎体海綿骨の骨密度を測定した.その結果,ニホンザル腰椎椎体海綿骨の骨量(BV/TV)と骨密度は3歳から9歳にかけて上昇した.その後10歳から20歳にかけて有意な変化は認められなかった.20歳以上の骨量と骨密度はピーク時に比べ,14-15%低下した.また,骨量と骨密度の有意な性差はみられなかった.ニホンザルにおける腰椎椎体海綿骨の微細構造はヒトに類似する.上下方向の骨梁配列がほぼまっすぐになっているが,前後,左右方向ではストレートの骨が少なく,蜂の巣のような迂回路が目立つ.これは前後,左右の非荷重方向の骨梁は荷重の上下方向の骨梁の変形に伴う間接的な負荷であるため,一部の骨梁が断裂したのではないかと推測する.これらの結果は,ニホンザルでは加齢による骨量の低下はヒトに比べて少ないが,海綿骨における骨梁の配列はヒトと似ている.
以上の成果を第25回日本霊長類学会大会において発表した.
4-3 旧世界ザル下顎骨外側面にみられる隆起の種間変異
近藤信太郎(愛知学院大・歯・解剖)
対応者:高井正成
旧世界ザルの下顎骨外側面に見られる隆起の形態学的特徴を明らかにする目的で,ニホンザル,アカゲザル,カニクイザル,タイワンザル,サバンナモンキーを調査した.この隆起は触診によってのみ存在が確認できるものから明らかな隆起が肉眼で確認できるものまで様々な発達程度を示した.前後的にはP4からM3の直下に位置し,上下的には下顎体のほぼ全体を占めているものが多かったが,下顎底付近に隆起が限局した個体も見られた.隆起の出現頻度は10~20%で,主にM3萌出後に見られた.とくに隆起が大きいものはM3の咬耗が進んだ個体に見られることが多かった.CT画像から隆起部は皮質骨によって構成されていることが分かった.皮質骨は均質な場合と疎な部分が含まれる場合があった.このため,隆起は腫瘍のような病変ではなく生理的な骨の膨隆と考えられた.サルの下顎骨外側面には隆起が見られる一方,くぼみが見られる場合がある.一般に下顎骨の前後径が長い場合にはくぼみが見られることが多いが,カニクイザルではくぼみが見られる個体と隆起が見られる個体があった.ヒトでは下顎骨内側面に下顎隆起が見られる.下顎隆起は皮質骨から成るが,サルの隆起は外側面にできるが,成因はヒトの下顎隆起と同じかもしれない.また,今回観察した種は頬袋がみられるため,食物の刺激による成因も考えられるが,今後,観察する種を増やして再度検討したい.
4-4 ニホンザルにおける上顎乳臼歯,小臼歯,大臼歯の歯冠サイズの関係
二神千春(愛知学院大・院・歯)
対応者:高井正成
ニホンザルの上顎dp4,M1,M2の歯冠サイズを比較検討した.計測はデジタルカメラで撮影した咬合面観の画像をパソコンに取り込んで行った.歯冠の最大径として近遠心径,頬舌径を計測した.咬頭の近遠心的位置関係を検討するために頬側と舌側の各咬頭の最大膨隆点間距離(MD-B,MD-L)も計測した.MD-B,MD-Lは咬頭頂間距離よりも咬耗の影響を受けにくい安定した計測点と考えられる.各計測値は,全てdp4<M1<M2であった(p<0.01).幅厚指数は,dp4:89.1,M1:94.2,M2:
96.1となり,遠心の臼歯ほど相対的に頬舌径が大きく,歯種間の差は乳臼歯と大臼歯間で顕著であった(p<0.05).近遠心径に対するMD-Bの比率は,dp4:44.8,M1:44.9,M2:
47.0となり,dp4‐M1間に有意差はなく,dp4‐M2,M1‐M2の各歯間では危険率1%で有意差が認められた.近遠心径に対するMD-Lの比率はdp4:34.0,M1:36.6,M2:
42.5となり,dp4ではM1,M2に比べ舌側半分が窄まった形態を示した(P<0.01).これらの結果は,dp4では舌側の咬頭が頬側の咬頭よりM1,M2に比べ発達が悪いことを示唆している.
4-5 考古遺跡出土ニホンザルの骨形態の地理的変異に関する研究
姉崎智子(群馬県立自然史博物館)
対応者:高井正成
ニホンザル(Macaca fuscata)形態的特徴について神奈川県資料を中心に他地域と比較を行い,地理的・時空間変異を検討した.比較に用いた項目は下顎小臼歯・大臼歯の頬舌径である.
分析は,考古遺跡11カ所,現生個体群7カ所について行った.形態の比較は,小臼歯,大臼歯頬舌径8項目に基づきLSI法を用いて行った.なお,今回はオスの資料に限って比較を行った.
分析の結果,神奈川県,福井県,長野県の考古資料は現生資料よりも臼歯頬舌径が比較的大きい傾向が示された.一方で,鹿児島県の考古資料は,現生大分県資料の大きさの範囲内であった.また,千葉県の考古資料は,遺跡間で大きさに差異が認められ,現生資料よりも大きい,あるいは,小さい資料が認められた.
このことから,ニホンザルの臼歯サイズに認められる相違は,地理的な要因に大きく起因していることが想定され,九州地域のニホンザルは縄文時代から小さい傾向がある一方で,本州地域においては,現生と比べて比較的大きい頬舌径を有するサルが縄文時代には生息していたことが推定される.
課題としては,臼歯サイズと外部計測による身体サイズの相関性について検討する必要がある.今後は,神奈川県のサル個体群を中心に現生および考古資料のデータを増加させるとともに,現生資料については,臼歯サイズと外部計測値などとの相関性についても検討を行っていく予定である.
↑このページの先頭に戻る
|