京都大学霊長類研究所 年報
Vol.40 2009年度の活動
はじめに
霊長類研究所の概要を述べるにあたって,例年のことではあるが,その沿革から紹介する.霊長類研究所は,霊長類に関する総合的研究をおこなう目的で,「全国共同利用研究所」として,1967年(昭和42年)6月1日,京都大学に附置・設立された.
京都大学には2010年度当初にiPS研究所ができたので,この年報原稿を執筆している時点で,霊長類研究所は京都大学にある14の附置研究所のひとつである.なお,2010年度からは,後述する「共同利用・共同研究拠点」となった.
創立以来43年間にわたって,人間を含めた霊長類の生物学的特性の研究で多くの研究成果をあげてきた.2010年4月1日現在,本研究所には4つの研究部門(10分野)と,2つの附属研究施設(人類進化モデル研究センターと国際共同先端研究センター)がある.教員数は約40名,大学院生等も約40名である.更に,海外での学術調査や外国人研究者の来訪も多く,活発な国際交流がおこなわれている.
以下に,創設以後の歴史の概要を記す.1968年に,現在の犬山市官林のキャンパスに研究棟第1期工事が完了した.以後,第2期工事,共同利用研究員宿泊棟,犬山市塔野地の職員宿舎,宮崎県串間市の幸島野外観察施設の研究棟などの竣工をへて,1969年6月2日に霊長類研究所の開所式がおこなわれた.また共同利用研究は,1969年8月1日より開始された.1972年には,キャンパス西側に隣接した1.3ヘクタールの土地を購入し,サル類保健飼育管理施設の本棟,検疫棟,放飼実験場などを建設した.1977年,本館の第4期工事によって,当初構想していた研究棟が完成した.1980年には,実験用サルの繁殖コロニーと育成舎が竣工し,サル類の自家繁殖体制が整備された.また,1983年には,従来の幸島野外観察施設をニホンザル野外観察施設へと改組拡充し,当初構想の9研究部門に加えて,2附属研究施設の体制となった.
1993年4月に,創立以来はじめて,研究部門の改組をおこなった.従来の伝統的な学問区分から抜け出し,新たな対象を掲げ複合的な視点をもった研究体制に整備することをめざした.大部門化改組によって,従来の9研究部門を4大部門10分野に再編統合した.これによって,チンパンジー研究の推進の核として新たに思考言語分野が誕生した.時を同じくして,1995年3月に,本棟(研究棟)の東側に隣接して類人猿行動実験研究棟が建設され,チンパンジー研究をはじめとする多様な研究基盤が強化された.1999年4月には,新しい研究用サル類の創出・育成をめざして,サル類保健飼育管理施設を改組し,「人類進化モデル研究センター」を新たに発足させた.配置教員の増員もかない,従来の飼育管理運営の業務に加えて研究面についても充実をはかった.
2007年6月に,霊長類研究所は創立40周年を迎えた.同年,第一キャンパスの東に位置する第2キャンパス(総面積約76ヘクタール)を整備して,その南部の約10ヘクタールにリサーチ・リソース・ステーション(RRS)を開所した.里山の景観を活かした約1ヘクタールの林に,ニホンザルの群れが暮らしている.第一段階としてニホンザルを対象に,順次,新世代の研究用霊長類の繁殖育成をはかる研究基盤整備の事業である.
この創立40年の節目の年に,本棟の耐震改修と機能向上のための工事をおこなった.地上5階,地下1階,全216室がすべて退去するという大工事だったが,所員各位の協力があって,2008年3月に無事に竣工した.同年4月には,ニホンザル野外観察施設を廃止し,霊長類研究所が母体となって,「野生動物研究センター」という新しい部局が京都大学に誕生した.霊長類以外の野生動物を研究の視野にいれて,人間を含めた自然のありかたや,地球社会の調和ある共存を探る研究をおこなう研究教育組織である.
さらにこれを受けて,2009年4月に,霊長類研究所は「国際共同先端研究センター(CICASP)」を新たに設置した.背景としては,1953年以来55年間続いた「全国共同利用」という制度が終了し,2010年度当初からは「共同利用・共同研究拠点」という新制度が発足した.そうした新制度への移行を視野に入れて,霊長類研究所が真に国際研究所として機能するためのセンターである.
国際共同先端研究センターが推進の核となって,研究所が全体的に取り組む大型事業がある.ITP-HOPE事業,AS-HOPE事業,HOPE-GM事業,アジア・アフリカ学術基盤形成事業などである.生物科学専攻の一翼を担ってグローバルCOE事業にも取り組んでいる.こうした大型プロジェクトについては,本年報で別項を設けたのでそちらを参照されたい.
研究所のおこなう補助金事業としては,NBR事業とGAIN事業がある.両方とも,2002年度に文部科学省が提唱して始まったナショナルバイオリソース事業の一環である.2009年度から補助金事業になった.NBR事業は,ニホンザルバイオリソース事業の略称である.中核機関は生理学研究所で,そのサブ機関として,研究用ニホンザルの繁殖育成事業をおこなっている.年間100頭の所外供給に向けた事業を進めている.GAIN事業は,大型類人猿情報システム事業の略称である.中核機関は国立遺伝学研究所で,そのサブ機関として,チンパンジー・ゴリラ・オランウータンのヒト科3種について,その全個体情報のデータベース化を進めている.
このほかに,研究所の本務としての全国共同利用研究については,所内に共同利用実行委員会を作って例年通り対応してきた.また,特別教育研究経費プロジェクト分として,リサーチリソースステーション(RRS)による環境共存型屋外施設による霊長類の飼育研究を推進してきた.RRS事業は,2005-06年度の施設整備を経て,2006-2010年度の研究プロジェクトに採用されている.これによって,2009年度は,新たに大型ケージ1棟をRRS
に設置し,官林地区のグループケージ群の改築にも着手して大型ケージ1棟を設置した.研究所のRRS事業は,国が推進するNBR事業と不可分の一体である.
研究と並行して,大学院教育をおこなっている.霊長類研究所がおこなう大学院教育は,理学研究科動物学専攻の1分科として1972年に発足した.1986年には,霊長類学専攻として専攻独立を果たした.その後,1993年の大学院重点化改組を受けて,理学研究科の協力講座と位置づけられて,生物科学専攻のなかの霊長類学系となった.なお2008年度からは,野生動物研究センターが発足したのを受けて,これと協力して,「霊長類学・野生動物系」と名称を変更して後進の若手研究者の育成に努めている.2009年度末をもって若手研究者が巣立っていくとともに,2010年度当初に新たに5人の大学院生を迎えることができた.
本年報の発行にあたって,2009年度の教員の交代について述べる.2009年度は11人の新たな任用を決定し,任期終了を1年後に迎える2人の再任を決定し,3人が年度末で定年退職した.任用の決定順に述べる.年度途中に,井上謙一(統合脳システム分野・脳プロジェクト,特定助教),松本正幸(統合脳システム分野,助教),早川敏之(人類進化モデル研究センター,助教)が着任した.2010年度当初着任のものとして,岡本宗裕(人類進化モデル研究センター,教授),平﨑鋭矢(進化形態分野,准教授),郷康広(遺伝子情報分野,助教),山本真也(ボノボ研究部門,特定助教),倉岡康治(高次脳機能分野・新学術領域,特定助教),フレッド・ベルコビッチ(国際共同研究センター,教授),デイビッド・ヒル(国際共同センター,教授),足立幾磨(特別推進研究から国際共同先端研究センターへの配置換え,特定助教)である.教員の任期制により任期終了を1年後に迎える松井智子(認知学習分野,准教授)と宮地重弘(高次脳機能分野,准教授)について再任審査をおこないその再任を決定した.
定年退職の教員は,松林清明教授,景山節教授,中村伸助教の3人である.近年の教員人事によって,研究所の教員の構成は著しく若返った.新年度当初の全教員の年齢分布をみると,教授の平均年齢が53歳,准教授が45歳,助教が35歳である.これに20歳代のポスドクや20歳代前半の大学院生がいる.また,協議員会を構成する教員だけに限っても,その在職年数の中央値が9年になった.清新な研究・教育体制になったといえるだろう.
なお,技術職員の早川清治が定年退職を迎え,国際共同先端研究センターに再雇用された.熊﨑清則も定年退職を迎えた.事務関係では,小倉一夫事務長,細川明宏総務掛長,河田友彦会計掛長が離任し,後任として八木定行事務長,小野一代総務掛長,川俣昭会計掛長が着任した.引き続いていわゆる団塊の世代の退職の時期を迎えており,研究所の教職員構成の変化が著しい.清新な教職員の加入によって霊長類学の更なる発展を期したい.なお,2009年度末に所長の改選が行われ,松沢哲郎が過去2期4年間に続いて3期目の所長職に留まることになった.なお研究所の規定上,所長任期は3期までである.
2009年度の特記事項として,共同利用・共同研究拠点への移行についての説明を付したい.京都大学霊長類研究所は,平成22年度から,「共同利用・共同研究拠点」に移行した.その経緯と現状を解説するとともに,引き続きのご支援をお願いしたい.
京都大学霊長類研究所は創設時から全国共同利用の附置研究所という位置づけだった.その「全国共同利用」という制度そのものが見直されて,2009年度に廃止され,2010年度度から新たに「共同利用・共同研究拠点」という制度が始まった.
まず歴史的経緯から述べる.湯川秀樹がノーベル物理学賞を1949年に受賞し,それを記念して京都大学に湯川記念館が建てられた.全国の理論物理学の研究者が集う場所となった.そうした動きを当時の文部省が追認して,「全国共同利用」という制度が1953年に始まった.したがって全国共同利用の附置研究所の第1号が京都大学基礎物理学研究所である.湯川の名前を残して,研究所の正式英語表記は,Yukawa
Institute for Theoretical Physicsである.その後,全国の大学に,全国共同利用の附置研究所が創られた.霊長類研究所もそのひとつである.
全国共同利用の研究所・研究センターは,平成21年度末の時点で,北は北海道大学から南は琉球大学まで,国立大学に41あった.これらが「国立大学附置全国共同利用研究所・研究センター協議会」を構成し,相互の連携を通じて,全国共同利用という制度のもとで日本の学術の推進を図ってきた.
全国共同利用制度が見直される契機は,制度それ自体が半世紀を超えて見直すべき時期に来ていることもあるが,2004年度の国立大学法人化の影響といってよいだろう.法人化によって,全国共同利用という制度そのものの法的根拠が失われた.そこで,文部科学省の科学技術・学術審議会で検討を重ね,たどりついた結論が「共同利用・共同研究」という新制度である.全国共同利用との違いは,主に3点に要約される.①全国共同利用の研究所・研究センターは国立大学だけに限られていたが,公立や私立も可能になった.②複数の大学の研究所・研究センターが連携して1拠点を構成することもできる.③拠点に認定された研究施設(研究所と研究センターの総称)は,所属の大学の中期目標・中期計画の付表に記載される.すなわち,当該期間中は,大学の一存で改廃することはできない.なお,共同利用・共同研究拠点の説明は下記のサイトを参照していただきたい. http://www.mext.go.jp/a_menu/kyoten/index.htm
2009年度に先行して,モデルケースとなる最初の共同利用・共同研究拠点として,京都大学再生医科学研究所が認定された.再生医科学研究所はそれまでも京都大学の附置研究所だったが,全国共同利用の機能は担っていなかった.これをひな形として,共同利用・共同研究拠点への申請が2009年度に審議された.その結果,2010年度当初の時点で,全国に79の共同利用・共同研究拠点が認定されるに到った.内訳は,国立大学70拠点と私立大学9拠点である.なお41あった全国共同利用の研究施設はすべて拠点に移行した.
共同利用・共同研究拠点として文部科学省に承認された国立大学の研究施設が結集して,新たに協議会を結成した.従来の「国立大学附置全国共同利用研究所・研究センター協議会」(略称:全共協議会,本研究所が2009年度の会長当番)は2009年度末をもって解散した.新たな協議会は,「国立大学共同利用・共同研究拠点協議会(略称:拠点協議会)」として,2010年4月3日に発足した.下記のサイトを参照されたい.http://www.kyoten.org/
拠点協議会の要点は下記のとおりである.①「国立大学共同利用・共同研究拠点協議会」として国立大学の全拠点が結集する.②会のミッションは,拠点間の相互連携(ならびに国立大学附置研究所・センター長会議や大学共同利用機関との連携)を通じて,共同利用・共同研究を振興し,日本の学術の発展に寄与することである.③総会の開催等によって連携を図り,ホームページやシンポジウム等を通じて共同利用・共同研究拠点制度のもとで得られた研究成果を広く国民に周知する.なお,共同利用・共同研究拠点という制度そのものの制約から,今後も毎年新たに認可される拠点がありうること,および「中期目標・中記計画」と連動して拠点の見直しがあること,したがってこの「拠点協議会」のメンバーシップは折々の節目で変わる,と認識している.実際に,2010年6月に,野生動物研究センターが,次年度から共同利用・共同研究拠点になることが決定した.
拠点に認定される要件として,外部に開かれた「運営委員会」が必要である.その委員会は,学外委員が半数以上を占めなければならない.霊長類研究所は,そもそも全国共同利用研究所として発足したので,設立当初から運営委員会をもっている.そこで,この運営委員会に拠点の運営についても付託し,その機能に対して「拠点運営協議会」という名称を付与した.構成員は運営委員会と同様だが,議長を学外者が務める.
現在の霊長類研究所の運営委員は,その第22期
(2009.7.1~2011.6.30)にあたり,上記の拠点運営協議会の委員も兼ねる.下記の方々である.1号委員(所内)として,平井啓久,景山節(2010年度当初から渡邊邦夫).別の1号委員(学内所外)として,山極壽一(理学研究科教授),松林公蔵(東南アジア研究所教授),阿形清和(理学研究科教授).以上,学内者が5名である.2号委員(学外)として,諏訪元(東京大学総合研究博物館教授),高畑由起夫(関西学院大学総合政策学部教授),中道正之(大阪大学人間科学研究科教授),石田貴文(東京大学理学系研究科准教授),長谷川寿一(東京大学大学院総合文化研究科教授),伊佐正(自然科学研究機構生理学研究所教授),入來篤史(理化学研究所グループディレクター)の7名である.すなわち運営委員の所内と所外の比は2:10で,学内と学外の比は5:7になっている.なお,この2号委員7名が学外者だが,これは日本霊長類学会からの推薦をもとに選出された4名と,その他の学識経験者として所長・将来計画委員会が推挙して協議員会で選出された3名から構成されている.以上の構成と選出方法については,霊長類研究所の規定に明記されている.
最後に,ニホンザル出血症(仮称)について説明したい.2001年7月26日に,当時11歳のメスのニホンザルが原因不明の疾病を発症し,2日後の28日に亡くなった.血小板や赤血球や白血球が急減して極度の貧血を呈する.まる1年後の7月31日までのあいだに,同様の症状を呈した7頭がいて,うち6頭が死亡した.いずれも実験棟の同じひとつの部屋の発症なのでなんらかの環境要因によるものと当初考えた.発症は自然に終息し,原因究明の努力をしたが不明のまま約6年間が平穏に過ぎた.
2008年3月12日に,当時12歳のオスのニホンザルが同様の症状を呈して,約3か月後に死亡した.以後,2008年に5頭,2009年に16頭,2010年に17頭,合計38頭が発症した.38頭発症のうち13頭の安楽死処置を含めて37頭が死亡した.発生場所は,3か所に限定されている.なお,最初の発症から約10年間の資料を精査して,その結果をまとめ,霊長類研究所疾病対策委員会の名前で,『霊長類研究』に情報論文として掲載し報告した.2010年6月22日の発行である.
疾病の原因究明の努力を続けているが,まだその原因を特定できない.霊長類研究所は,現時点で,14種約1200個体のヒト以外の霊長類を保有している.うち,ニホンザルは約790頭である.この10年間のあいだに,ニホンザル以外の霊長類では,当該の症状を呈した個体はいない.また,ニホンザルの半数近くを飼育するリサーチリソースステーションでの発症例もない.何らかの病原体によるニホンザルに固有の疾病である可能性が高いと考えている.ビルコンの導入による徹底的な消毒と,発症個体の隔離を進めるとともに,防護服を新調してフェイスマスク等の着用を徹底し,ひきつづき封じ込めと原因究明の努力を続けている.
今後さらに,発症ゼロに向けた努力と防御策の向上をはかり,原因の究明に加えて,一般の人々も含めて広く情報開示の作業を粛々と進めていきたい.ニホンザル出血症(仮称)を,与えられた試練の場ととらえて霊長類研究所のあるべき姿を示していく所存である.
京都大学霊長類研究所は,これからも日本の霊長類学の発展のために,また国際的な研究連携の拠点として,設立当初の使命を継承しつつ人間の進化の霊長類的起源の解明に努力したい.そのためにも,研究者コミュニティーさらには一般の皆様方に,研究所の現状と概要をここに説明するとともに,引き続きご支援とご理解を願うしだいである.
(文責:松沢哲郎)
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