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ここで、動物の痛みの表情に関する、国際的・学際的なプロジェクトを開始しました。プロジェクトの参加者は、Lincoln大学の動物行動治療学のProf. Daniel MillsとDr. Helen Zulch、コンピューターサイエンスのDr.Georgios Tzimiropoulos、心理学の研究者、イタリアの獣医大学の研究グループ(馬の痛み表情を担当)と派遣者(サルの痛み表情を担当)です。今回の滞在では、予備的な研究をおこない、研究費の申請に備えることが目標です。
2010年にネイチャー誌にマウスの痛みの表情についての論文(Langford et al 2010)が出て以来、動物の痛みの表情についての関心が高まっています。ヒトでも、表情による痛みの評価は注目されており、Facial Action Coding System (FACS)という、筋肉の動きに基づき表情を解析するシステムを使い、痛みの感覚の側面は目の周りに表れ、情動の側面が眉毛の動きと上唇に表れるという研究(Kunz et al 2011)など、大変興味深い研究がおこなわれています。一方、霊長類の表情の研究も、ヤーキースのグループがチンパンジーとマカクザルのFACSである、ChimpFACSとMaqFACSを2006年と2010年にそれぞれ発表し(Parr and waller 2006、Parr et al 2010)、まさにこれからというところです。
顔の筋肉はヒトに近いサルで、痛みが表情に表れるのか、という問題は、ヒトとの比較として進化の観点からも、動物福祉の観点からも非常に重要かつ興味深いものです。サルは痛みの兆候をあまり見せないことが、サル類の飼育者・研究者の間では経験的に知られています。これは、野生環境やサル社会で生きていくために、弱みを見せないことが重要であるためだと考えられています。今のところ、サルの痛みを客観的に評価するにはよい指標はなく、サルが痛いときにどのような行動や表情を表すかも、よくわかっていません。
また、痛みに関する動物実験のほとんどは、痛みの感覚としての側面に焦点をあてており、情動としての痛み、「痛みによる苦しみ」についての動物を対象とした研究はほとんどありません。ヒトに近いサルを対象とする上では、感覚としてだけではなく、情動として、痛みをサルがどのように感じているのか、ということはとても興味深く、ヒトの痛みを考えるうえでも、動物福祉の観点からも、非常に重要であると考えています。
現在までに、霊長類研究所の飼育担当者の協力を得て、痛みがないと思われるニホンザルの顔写真を2397枚と、ビデオクリップを6つ撮影しました。これらの写真から、解析に適したものを選択し、コンピューターサイエンスの研究者とモデルを作成しているところです。Ashrafらが2009年に発表した、人の痛み表情のコンピュータ解析モデルと同様の方法で、サルの表情も解析できるという手ごたえがつかめました。顔の各所にランドマークとなる印をつけて(図1)、それらをもとに画像上の「マスク(仮面)」を作り、マスクの変形の程度によって表情を区別しようという試みをしています。今後、様々な調整をおこない、方法を洗練させていく予定です。
図1
痛みの研究の多くは、ヒトのボランティアまたは患者さんを対象とした臨床研究か、げっ歯類を対象におこなわれています。動物実験では痛みのモデルを作って、痛みを引き起こすため、倫理面が問題となります。中型以上の動物では人為的に痛みを与えることの正当化が困難であるため、犬や猫の去勢・避妊手術など、他の目的で手術の必要がある場合に合わせて研究をおこなうことがほとんどです。本研究でも、京都大学霊長類研究所で飼育されているニホンザルが外傷を負った場合や、脳神経科学研究のための外科処置をおこなう際に合わせて痛みの表情や行動の写真やビデオを撮影することを計画しています。
また、顔写真の解析と並行して、サルの痛みの行動解析もおこなうことを目標としているため、派遣者はリンカーン大学において、ビデオ解析や統計など動物行動解析の手法のトレーニングを受けています。リンカーン大学での滞在は、当初の予定にはなかったものですが、縁あって滞在することができ、期待以上の収穫がありました。融通をきかせてここでの滞在を可能にしてくださった関係者の皆様に感謝しております。ここでの経験をもとに、知り合った共同研究者とともに新たな研究費の申請をおこない、研究を発展させていきたいと思います。6月にオランダへ移動し、いよいよ当初からの予定であったヒトとサル類の麻酔の研究に着手する予定です。