組織的な若手研究者等海外派遣プログラム
実施報告書
整理番号 R37
事業実施期間
平成22年3月 1日~平成25年2月28日
事業名
人間の本性の進化的起源に関する先端研究
研究機関名・部局等名
京都大学・霊長類研究所
協力研究組織・協力機関
京都大学・野生動物研究センター
主担当教員所属部局・職名・氏名
霊長類研究所・教授・松沢哲郎
交付申請時の下限人数 109人
交付申請時の2ヶ月以上派遣者の下限人数
23人
実際の派遣者総数 204人
実際の派遣者総数のうち2ヶ月以上の派遣者数
12人
本事業の概要
本事業計画のカバーする学術分野は、霊長類学を基点とした人間の本性の進化的起源ならびに生物多様性の研究である。霊長類は人間を含めて約350種いる。そのうち人間以外の霊長類はすべて東南アジア・東アジア、中南米、アフリカに分布している。つまり、北米やヨーロッパにはサル類はいない。日本は先進国の中で唯一サルのすむ国であり、そうした自然の条件が背景にあって、日本のユニークな国際貢献として、霊長類学は世界に向けてその成果を発信してきた。霊長類研究で培ってきた知識や経験や技術や国際連携網を活かして、霊長類以外の哺乳類その他の多様な動物相に研究対象を拡大し、より広い視野から、人間の本性の進化的起源を探る必要がある。人間の身体が進化の産物であるのと同様に、その心も、親子関係も、社会も、文化も、暮らしも進化の産物である。そこにはゲノム的基盤もある。本事業は、人間の本性の進化的起源を解明する、生物科学を基盤とした文理融合の基礎研究を総合的に推進する。
霊長類学を基礎とする多様な野生動物の研究は、日本の歴史的な貢献が基盤にあるとともに、今後の発展が期待される学術分野である。現代社会の直面する多様な課題の解決には、そもそも「人間とは何か」「人間はどこから来たのか」という本質的な問いに対する答えの探究が必要不可欠である。人間の本性の進化的起源をさぐる研究が今まさに要請されている。
野生ニホンザルの研究は1948年に始まって60余年の歴史を誇り、チンパンジー研究でも日本は世界をリードしてきた。また野生ボノボ研究は日本が開始したものである。こうした野外での長期継続研究を基盤として、人間を含めた動物群である霊長類の研究は日本が世界をリードする特色ある研究だといえる。京都大学霊長類研究所は、1967年に創設されて以来、米国のヤーキス霊長類研究所と並んで国際的な研究拠点である。しかし、1997年にドイツにマックスプランク進化人類学研究所が創設され、2002年に英国ケンブリッジ大学に人間進化科学研究センターが開設され、霊長類学は日米独英の4か国の大競争時代に突入した。
霊長類研究所は、生息地国であるアフリカ・アジア諸国の研究機関と多数の交流協定を取り結ぶとともに、欧米先進諸国の研究機関とも連携協定を結んできた。とくに、ドイツのマックスプランク進化人類学研究所とは、「人間の本性の進化的起源の解明」という同じ目的をもった研究機関として深い連携を築いてきた。すなわち、日独の科学協力協定を基礎に、マックスプランク協会と日本学術振興会が覚書を交換し、日本学術振興会の独立行政法人化して最初の事業である「先端研究拠点」事業の採択第1号として、京大霊長類研究所とマックスプランク進化人類学研究所との連携事業(略称HOPE)ができた。その後、ハーバード大学人類学部や英国ケンブリッジ大学人間進化科学研究センター、イタリア認知科学工学研究所、仏国エコル・ノルマル・シュペリエールも加わって、日独米英伊仏の先進6か国の連携体制ができている。
今回の事業では、「新しい霊長類学」の発展と、「霊長類以外の野生動物を対象にした研究」の推進をめざすものである。つまり、人間のこころ、からだ、暮らし、ゲノムの進化的起源を明確にし、人間を含めた自然の全体をとらえるような、日本から世界に向けて発信する日本の固有な科学的貢献を念頭に置いている。こうした、自然のまるごと全体を視野に入れた研究をめざして、京都大学は、探検大学といわれる野外研究の蓄積を基に、2008年に野外研究の推進の核となる野生動物研究センターを設立し、野生動物研究を広く展開する体制になった。また2009年には、霊長類研究所に国際共同先端研究センターという附属研究施設を新設し、英語で教育する英語コースも2011年に開設した。なお、2010年には、生物多様性条約のCOP10締約国会議が日本で開催し、第23回国際霊長類学会も20年ぶりに日本で開催した。さらに2011年には、国際意識科学大会も初めて日本で開催した。こうした国際化が飛躍的に展開する節目の時期に、人間を含めた霊長類の研究の深化と拡大は、日本のユニークな国際貢献を果たすという意味で重要である。とくに申請機関である京都大学としては、大学の特色としての野外研究を推進する研究戦略上、きわめて時宜を得ているといえるだろう。
本事業に係る成果
本事業における主な成果について述べる。期間中に204人の若手研究者を海外に派遣した。野外研究と実験研究の双方を踏まえ、霊長類学を基点とした人間の本性の進化的起源ならびに生物多様性の研究である。霊長類研究で培ってきた知識や経験や技術や国際連携網を活かして、霊長類以外の哺乳類その他の多様な動物相に研究対象を拡大し、より広い視野から、人間の本性の進化的起源を探ることができた。海外との連携協定をもとに組織的に若手研究者を海外に派遣するシステムを作り上げた。派遣研究者には派遣終了後1か月以内に研究報告を義務づけた。なお英文と和文の双方であり、これらは随時、霊長類研究所のホームページのAS-HOPE事業の項目で公表した。その成果については、右記のHPを参照されたい。http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/sections/as-hope/reports/index-j.html
事業では、5つの基本プログラムを継続して3年間実施した。①「共同野外調査プログラム」、②「研究機関交流教育プログラム」、③「国際ワークショップ」、④「通年調査プログラム」、⑤「学部学生短期野外調査プログラム」である。以上の成果として、マックスプランク進化人類学研究所のゲノム解読などの研究成果を取り入れて、霊長類研究所が主導するサル類の味覚・嗅覚の受容遺伝子の研究が進展した。また両親と子どもの3個体のチンパンジーについて、全ゲノム解読という世界初の研究成果が生まれた。また、比較認知科学の研究分野では、言語と記憶のトレードオフの発見に基づく社会脳仮説の提言をみた。さらに赤外線を使った視線検出装置による一連の研究から他者理解の研究が進み、2個体場面の設定から協力や互恵性に関する共同研究も進んだ。さらには、野生チンパンジーの研究から二足歩行の起源と石器を使う文化の研究が進み、「霊長類考古学」という新しい研究分野の提言につながった。さらに、これまで手の付けられていない野生オランウータンの長期研究についてはボルネオのダナムバレイでの研究が軌道にのった。同じマレーシアでは、マレー半島のベラム・テメンゴール森林での新しい保全活動やBJ島での保全活動が進んだ。その他の研究分野としては、古人類学・古霊長類学の共同研究が着実に前進した。このほかに、アメリカのヤーキス霊長類研究所をはじめ、イギリス、中国、インドネシア、ミャンマー、ガーナ、ケニア、ブラジル等の研究者と共同研究をおこなった。またウガンダ(カリンズ森林)、コンゴ(ワンバ)、タンザニア(マハレ・ウガラ)、マレーシア(ダナンバレイ)、ギニア(ボッソウ・ニンバ)では、相手国の対応機関と共同で、霊長類およびその他の野生動物の野外研究を実施した。通年の継続調査研究体制を組むことで、若手研究者の海外派遣による飛躍的な研究成果の向上をみた。
霊長類以外でも、翼手目(コウモリ)や社会性食肉目(イヌやオオカミやシベット)や海獣類(イルカ)などとの比較研究が進んだ。対象動物は霊長類以外の哺乳類に広くひろがり、ワシントン条約で絶滅の危惧がある、あるいはその怖れがある種として位置づけられている稀少な種の保全研究が進展した。
卒業生の多様な進路のなかに、単なる学術研究だけでないキャリアが出現した。
具体的には動物園のキュレーターや、WWFなど欧米を基点とする大きな保全活動NGOの職員である。
大学と動物園や水族館との連携が着実に進展した。札幌市円山動物園、京都市動物園、名古屋市東山動物園、名古屋港水族館、京都水族館、横浜ズーラシア、熊本市動物園などである。動物園等で野生動物とかかわる者、自然の生息地で保護の実践や行政に携わる者が、こうした教育の中から育った。また逆に、博士後期課程の有職者入学も認めているので、現場の社会人として働いている獣医師や飼育員や自然保護活動の従事者の、再教育の基地になった。つまり、組織的な海外派遣プログラムによって、こうした者が京都大学の大学院で野外調査の基礎を学び、国内外の調査基地で、野生動物の暮らしそのものを実体験した。そうした実感を基礎としたうえで、霊長類や他の野生動物を対象とした、多様な基礎科学研究を総合的に推進している。
霊長類研究所と野生動物研究センターは、大学院教育において理学研究科の生物学専攻と連携し、英語コースの独自入試をおこない、4月と10月の入学を認めるセメスター制を実施している。霊長類学は国際的にみて日本が最先端にあり、霊長類研究所は欧米やアジアの各国から広く大学院生やポスドクを受け入れている。現在、大学院生の外国人比率が約25%になった。カリキュラムは和英併記のものを使用しており、外国人学生の受講する課目は英語で授業をおこなっており、学位は英語で申請するシステムが整った。この英語コースすなわち「国際霊長類学・野生動物コース」の新設により、平成21年度に発足した国際共同先端研究センターを推進の核として、外国人教員を増やし、英語で学習して学位を習得する教育を充実させる体制が整備された。ここで学ぶ外国人学生が海外派遣されることで、日本人だけではない、真のグローバルな人材の育成につながった
新しい霊長類学は人間学そのものである。旧来の人文科学・社会科学が陥っていた「人間と動物」という旧弊な二分法から訣別することこそが、総合的な研究の到達点であり、それに対する各論としてのさまざまな新しい科学的知見が得られるだろう。こうした「総合人間学」の創成と「野生動物研究(ワイルドライフサイエンス)」の発展のためには、研究の最前線に立つ若手研究者の育成が必要不可欠である。研究対象がニホンザル以外はすべて海外にあるという特殊事情があるので、霊長類学ならびに野生動物研究は、若手研究者の海外派遣無しには成立しえない。
このたびの組織的な若手研究者等海外派遣プログラムの実施によって、海外派遣が研究の質を高めることになった。それがまた若手研究者の育成にもつながった。なお、学部学生を対象としたフィールド実習は、大学の正規の単位として認定され、大学1年生からの一貫教育による人材育成が可能になった。この3年間ボルネオの熱帯林に通い続けた若い学部生たちがいる。そうした人材の中から、次の時代の霊長類学、新しい野生動物研究を推進する新しい芽が伸びるだろう。早期に世界と交わり自然に触れることで、国際的に活躍できる世界的水準の人材の育成が可能になった。
その他特記事項
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交付申請時の下限派遣数を満たせなかった場合は、その理由
本事業と並行して、日本学術振興会のITP(インターナショナル・トレーニング・プログラム)の助成を受けた。長期の派遣はITP事業で推進したので、本事業では中短期の派遣が多くなった。結果として、長期派遣についてのみ下限派遣数を満たせなかった。しかし、大学院生・学部生を含めれば本事業での2ヶ月以上の派遣者数は12人ではなく32人となる。また、比較的短期のものを多数採用するという明確な方針のもと、3年間で204人という非常に数多くの若手研究者・学生が海外での研究活動を経験することができた。こころ・からだ・暮らし・ゲノムという、広域かつ多角的な視点で、人間の本性の進化的起源を明らかにすることができた。
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