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テングザルは鼻が武器?
―大きくて強い雄は犬歯が小さい― Matsuda I, Stark DJ, Ramirez Saldivar DA, Tuuga A, Nathan SKSS, Goossens B, van Schaik CP, Koda H
概要
テングザルの雄は、霊長類では類をみないほど大きく長い鼻持っている。私たちの研究チームは、テングザルのこの鼻の進化のなぞ解きに挑戦している。一般の霊長類における闘争の際の重要な武器は「犬歯」である。しかし、一見すると無力なテングザルの大きな鼻は、犬歯よりも雄同士の熾烈な戦いを勝ち抜く強力な武器になっているかもしれない。研究チームは、体格が大きく、鼻の大きな強い雄ほど犬歯が小さいことを発見した。 これまでに私たち研究チームは、テングザルの雄の鼻の大きさは声の音域と関係し、また鼻の大きさが雄の肉体的な強さと高い繁殖能力を保証することを明らかにしてきた。雄の鼻は、雌を魅了するための大きな武器となっていることも明らかとなっている。大きな鼻という雄の強さを示す「勲章」のおかげで、雄同士は互いの強さを推し量り、雌をめぐる無駄な争いを避けていることが示唆されている(Koda et al. 2018, Science Advances)。 一般的にヒトを除く霊長類は、「鼻」ではなく「犬歯」を重要な武器にしている。鋭い犬歯にかまれた切り傷は致命傷になることもある。雄間では犬歯が大きいほど強い個体であり、闘争に打ち勝ち、雌を獲得するために有利だと言える。研究チームは、テングザルの鼻の進化的意義の更なる解明を目指し、本種の犬歯に着目した。テングザルはハーレム型の群れを形成して暮らしている。群れが複数集まり、さらに大きな集団「バンド」を形成する重層社会という特殊な社会を形成している。複数のハーレムは縄張りを持たず、泊り木では複数のハーレムが近接して眠っている。このことから、当初はテングザルのハーレムの雄同士は、より多くの雌を獲得する/奪われるような激しい競争に常にさらされているため、より強い雄ほど大きな犬歯を発達させていると予想した。 ところがこの予想は大きく裏切られた。テングザルは一般的な霊長類と違い、強い雄(体格が大きい)ほど小さな犬歯を持っていた。テングザルの雄同士は、大きな体格を生かしたダイナミックな枝揺すり、さらに強い雄の勲章である大きな鼻を使った鳴き声を出すことで間接的に競争相手と戦い、犬歯による激しい闘争の末の致命傷を回避していることがわかってきた。これは直接的に体を接触させるような闘争が極めて少ない野生のテングザルの観察とも一致している。 また、あまりに大きな犬歯は食べ物の咀嚼に不利になる。犬歯を発達させることは、エネルギー的にも大きなコストのかかる進化だと考えられる。葉っぱというエネルギー効率の悪い食物を主食とするテングザルは、ある程度の大きさで犬歯の発達を止め、効率良く食物を摂取することでより体格を大きくする方向にエネルギーを投資する方が、雄間競合に打ち勝つ上では有利な戦略だったのかもしれない。性を巡る競争(性選択)と生きる上での競争(自然選択)の相互作用により、形質のトレードオフが進化した興味深い現象だと言える。 今回の研究成果は21日付の英科学誌コミュニケーションズ・バイオロジーに掲載されている。 1.背景 動物の世界で派手なのは雄である。これは進化論を唱えたダーウィンが指摘したものであり、派手な装飾的な形態は、雌をめぐる雄の争い、すなわち性選択によって進化したと考えられている。霊長類においても、ヒトの男性が生やすヒゲはもちろん、ゴリラに見られるシルバーバック、そしてテングザルの鼻など、「強い」雄だけが持つ特徴が存在する。これらは雄間競争や雌選択が関係して進化したと考えられている。雄間競争が激化すると、雄はいわゆる「勲章」となるような視覚的に強さを理解しやすい形態進化を起こすことで、無駄な争いを避けるようになる。また、そのような雄の装飾を雌は注意深く観察し、より強い雄を選択するようになる。その過程で、雄の装飾はより顕著に進化していくと考えられる。一方、雄間競争、雌による雄の選択は、動物の社会性とも大きく関係している。特に複雑な社会関係が存在する霊長類社会では、雄の装飾は社会的な地位を反映しやすいと考えられている。中でも一頭の雄と複数頭の雌や子どもからなるハーレム型の群れを形成する種では、より多くの雌を雄が独占するために性的競争が生じやすく、雄の派手な形態装飾が顕著になりやすいと言われている。 本研究テーマとしたテングザルは、霊長類の中ではボルネオ島の固有種で、天狗のような長い鼻を特徴としている。テングザルは、複数のハーレムが集まり、さらに大きな集団「バンド」を形成する重層社会という特殊な社会を形成する。複数のハーレムは縄張りをもたず、泊り木では複数のハーレムが近接して眠る。つまりハーレムの雄同士は、より多くの雌を獲得するために競争し、雌は強い雄を選ぶ機会が頻繁にあることを意味している。このようなテングザルの特殊な社会性により生じた性をめぐる競争の結果として、テングザルの雄の鼻は進化したことが、私たちの先行研究からわかっている(Koda et al. 2018, Science Advances)。つまり、テングザルの雄の声の低さは、雄の肉体的な強さ(体格の大きさ)と高い繁殖能力(大きな睾丸)の証であり、雌を魅了するための大きな武器となっている可能性を示し、同時に大きな鼻という雄の強さを示す「勲章」のおかげで雄同士は互いの強さを推し量り、雌をめぐる無駄な争いを避けていると結論付けた。 一方で霊長類においては、雄間競合の強さを示す指標として、よく犬歯の大きさが使われる。これは、霊長類にとって犬歯は、雄の強さを示す重要な武器だと考えられているためだ。事実、雌雄の犬歯サイズの差は、霊長類の種内の性をめぐる競合の強さや捕食圧と相関することが報告されている。テングザルの特殊な社会における雄間競合の強さを考慮すれば、鼻の大きさと同様に、強い雄は雄間競合に打ち勝つために大きな犬歯を発達させていると考えるのが普通だ。この研究において私たちは、直接的な闘争のための武器とはならない装飾的、かつ勲章的役割を担う鼻のような形質と、直接的で強力な武器となる犬歯との関係性を、テングザルをモデル生物として検討した。 2.研究手法・成果 私たちの研究チームは、マレーシア・サバ州のキナバタンガン川下流域で野生テングザルの長期観察を15年にわたり継続してきた。本研究はその中でも、2011年から2016年の間に、サバ州政府と英カーデフ大学による「テングザル保全プロジェクト」との共同研究として実施した。テングザル保全プロジェクトでは、野生テングザルにGPS受信機内蔵の首輪を取り付けるため、野生個体の捕獲を実施した。動物倫理の観点にも注意を払いながら、18頭の野生テングザル雄、10頭の雌の形態を計測し、各計測部位の相関関係を多角的に検討した。 先行研究の結果と同様に、雄の鼻の大きさと体格(体重)は正相関していた。一方で予想に反して、体格と犬歯の大きさは負相関していることがわかった。このような予測に反した結果は、性選択と自然選択の相互作用から説明可能だと考えた。例えば、ホエザルやハヌマンラングールといった雄間競合の強いハーレム型の霊長類では、犬歯による攻撃が競争相手に致命的なダメージを与えることが観察されている。しかし同じハーレム型でもテングザルは、そのような直接的に致命傷を与えるような攻撃行動はほとんど観察されていない。その代わり、テングザルの雄は、樹上を飛び回り激しくジャンプをして木々を揺するという威嚇行動を頻繁に行う。より激しく相手を威嚇するためには、体重の重い大きな雄が有利になる。また、雄は頻繁に音声を発して他の雄を間接的に威嚇し、雌にアピールする。このような長期にわたる野生テングザルの行動観察結果からも、テングザルの雄にとっては、犬歯の発達にエネルギーを投資するよりも、体重増加、鼻拡大、という点に投資、進化したほうが、繁殖にとってはより有利に働くと考えられる。 一方で体格と犬歯の大きさの負相関という現象は、これとは別の視点からの考察が必要となる。特別に大きな雄の鼻は、大きな口を開けての犬歯による攻撃の邪魔となり、犬歯の武器としての役割が軽減する可能性がある。また大きな犬歯を発達させると、より大きな口を開けるための形態的調整が必要となり、その過程で咀嚼力が減少し、採食効率を低下させる要因となる。テングザルのように大型で(雄の体重は20キロ以上)、消化に時間のかかる繊維質の多い葉を主食とする霊長類にとって、採食効率の低下は生存競争において不利と考えられる。つまり、繁殖にかかわる性選択と生存にかかわる自然選択の相互作用が、テングザルの形態的特徴のトレードオフという珍しい現象と関係している可能性が高いと言える。 3.波及効果、今後の予定 現在、私たちはテングザルで見られるような霊長類の重層的な社会進化に焦点を当て、テングザルをモデルに集合知の発生条件を研究している。先行研究を更に発展させた今回の結果は、社会を重層化させ、群れサイズを拡大するという意味での集合知が、性選択と自然選択の相互作用により生じる様々な生態学的要因のトレードオフによる産物であることを示唆している。本研究成果は、集合知を生み出す進化的拘束条件の共通原理の解明にむけた世界で最初の精密な分析に基づいた研究成果であり、ヒトの重層(階層)社会や言語発生のメカニズム解明の端緒となることが期待される。 4.研究プロジェクトについて 予算 ・京都大学霊長類研究所共同利用・共同研究(#2020-B-17) ・科学研究費助成事業 国際共同研究強化B(#19KK0191 松田)、 ・Yayasan Sime Darby (Goossens、Nathan、Stark、Ramirez), ・文科省科研費新学術領域「共創的言語コミュニケーション」(領域代表:岡ノ谷一夫)「言語の下位機能の生物学的実現」(代表者:岡ノ谷一夫 #17H06380) ・科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業(CREST)研究領域「人間と情報環境の共生インタラクション基盤技術の創出と展開」(研究総括:間瀬健二)「脳領域/個体/集団間のインタラクション創発原理の解明と適用」(代表者:津田一郎) 関連研究機関 京都大学霊長類研究所、中部大学創発学術院、京都大学野生動物研究センター、日本モンキーセンター、マレーシア・サバ大学熱帯保全研究所、サバ州野生動物局、ダナウギランフィールドセンター、英カーデフ大学、スイス・チューリッヒ大学 書誌情報
タイトル:Large male proboscis monkeys have larger noses but smaller canines 著者:Matsuda I, Stark DJ, Ramirez Saldivar DA, Tuuga A, Nathan SKSS, Goossens B, van Schaik CP, Koda H 掲載誌:Communications Biology、Doi:10.1038/s42003-020-01245-0 2020/09/24 Primate Research Institute
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