2010年11月11日
ニホンザル血小板減少症の原因究明についての報告
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ニホンザル血小板減少症の原因究明についての報告
ニホンザル疾病対策第3者委員会
委員長:吉川泰弘(北里大学・教授)
概要:
京都大学霊長類研究所で発生していたニホンザルの疾病の原因究明の結果を報告します。ニホンザルにおいて、血小板減少を特徴とし、集団内での流行を呈したこの疾病は、SRV-4(サルレトロウイルス4型)と深い関連があるという証拠が、京都大学霊長類研究所をはじめとする5つの研究機関のすべてから得られました。ここに、それらの検証結果を総合して、ニホンザル疾病対策第3者委員会として以下のように報告いたします。
今回の疾病について5つの研究機関において異なる検証方法で相補的に検討した結果、同じ結論に達しました。なお、このSRV-4は人に感染することはほとんど無いと考えられ、また発症した例はありません。ニホンザル以外の霊長類では、人を含めて、SRV-4感染によりニホンザルで見られたような急性の血小板減少を特徴とする疾病を起こした例は報告されていません。また、霊長類研究所でニホンザルの飼育や治療に最も永くたずさわってきた者のうち4人の血液検査をしましたが、SRV-4への感染はありませんでした。SRV-4抗体もありません。すなわち、今回のニホンザルの疾病は、ニホンザルのみでひきおこされる感染症だと考えられます。なお、このSRV-4というレトロウイルスは、東南アジアにすむ一部のカニクイザルでは自然感染しています。今回の病気は、自然界では本来出会うことのないカニクイザルとニホンザルが実験室等で同居するという霊長類研究所の特殊な環境で生じた疾病と考えられます。
1)背景
霊長類研究所には、現在(2010年11月4日現在)、14種類1,210頭のサル類が飼育されています。うちニホンザルが770頭です。この10年間で2回、血小板の急激な減少という症状でニホンザルが死亡する事例がありました。第1期の2001-2002年の約1年間に7頭発症して6頭死亡し、6年間をおいて、第2期の2008年3月から2010年4月までの約2年間で41頭発症して40頭死亡(ただし14頭の安楽死の処置を含む)しました。いったん発症すると致死率の高い疾病です。本年(2010年)7月31日に、第3者による客観的な状況把握をするために、「ニホンザル疾病対策第3者委員会」が霊長類研究所長の要請で新たに発足しました。研究所外の有識者5名からなる中立機関としての委員会です。具体的には、吉川泰弘・北里大学教授(委員長)、松岡雅雄・京大ウイルス研究所長、森川茂・国立感染症研究所ウイルス第1部第1室長、鳥居隆三・滋賀医科大学教授、佐倉統・東京大学教授の5名です。以下では、このニホンザルの疾病について原因究明の結果を報告します。
2)原因
霊長類研究所で発生していたニホンザル血小板減少症は、SRV-4(サルレトロウイルス4型)と深い関連があるという証拠が得られました。
ニホンザル血小板減少症の原因究明を5つの研究機関で進めました。具体的には、京都大学霊長類研究所、京都大学ウイルス研究所、大阪大学微生物病研究所、社団法人予防衛生協会、国立感染症研究所の5つです。異なる研究手法で、相補的なアプローチによって、相互に連携をとりながらニホンザル血小板減少症の解明を進めてきました。
ごく最近の科学研究の進歩で、かつては不可能だった(1)ウイルス本体(ウイルスRNA)や宿主の染色体に入り込んだウイルスDNA(プロウイルスDNA)を検出するPCR法、(2)ウイルス抗体の迅速で正確な同定や、(3)RDV法(Rapid
Determination System of Viral RNA Sequences)や、(4)次世代シークエンサーの導入による網羅的なゲノム解析、といった多様な解析が可能になりました。これらの手法を駆使した結果、今回のニホンザルの病気は、一部のカニクイザルが自然感染しているSRV-4(サルレトロウイルス4型)と深い関連があるという証拠が得られました。
病名をその原因を冠して呼ぶならば、「ニホンザル・サルレトロウイルス関連流行性血小板減少症」(英名:SRV-associated
Infectious Thrombocytopenia in Japanese monkeys、
略称:「ニホンザル血小板減少症」)です。SRV-4はカニクイザルで自然感染していることが知られており、このウイルスがカニクイザルに感染してもほとんどの場合まったく無症状です。ただし、免疫抑制による慢性の下痢やまれに個体によっては軽度の血小板減少症を起こすことがあるようです。しかし、今回の研究結果から、このウイルスがニホンザルに感染すると、一部の個体で血小板の急激な減少という重篤な症状をひきおこすと考えられます。これまでの研究から得られた結果について以下に詳述します。
第2期のアウトブレイクにおける病気の広がり方から、何らかの感染症が疑われました。また、炎症性マーカーであるCRPはいずれの個体でも上昇していないこと、白血球数の減少が見られること、抗生物質の投与が無効なことから、細菌感染でなく、ウイルス性の感染症であることが強く示唆されました。そこで、5つの研究機関が連携してウイルスを中心に原因病原体の解明を進めました。
Ebola(エボラ出血熱), Marburg(マールブルグ病),
Lassa(ラッサ熱), CCHF(クリミアコンゴ出血熱)等のヒトが感染すると重篤な症状を呈するウイルスについての抗体を調べましたが、いずれも陰性でした。
ニホンザルが発症した場合その症状が全身性で重篤なことから、原因病原体は血漿中や糞便中にも存在している可能性が高いと考え、RDV法にて血漿中のウイルスを解析しました。また、メタゲノム解析にて血漿および糞便中のRNAウイルスを網羅的に解析しました。その結果、発症個体の血漿中にはサルレトロウイルス(SRV)と極めて類似するRNAが確認されました。特に、SRV関連遺伝子がきわめて多量に検出されたことから、血漿中には多量のウイルスが存在すると考えられました。
ここで得られたウイルスについて遺伝子解析を実施したところ、血漿中のウイルスはSRV-4型であることがわかりました。また、血漿を超遠心した沈査を電子顕微鏡で調べたところ、SRVと同様の形態的特徴をもったウイルスが多数確認できました。さらに、発症個体の血漿、血球、骨髄、糞便等から、SRV-4型ウイルスが分離されました。
さらに、現在、サル類で検査可能な8種の病原ウイルス(SEBV:
Simian Epstein Barr Virus, SCMV: Simian Cytomegalovirus, SVV: Simian
Varicella Virus, BV: B virus, SIV: Simian Immunodeficiency Virus, STLV:
Simian T-Lymphotropic Virus, SFV: Simian Foamy Virus, SRV: Simian
Retrovirus)について検査したところ、本疾病とSRVの間にのみ、高い相関が認められました。他のウイルスにはそうした関連が見られませんでした。すなわち、症状を呈したニホンザルのうち血漿あるいは血清が保存されていた個体についてPCR法による血漿中のウイルス検査を実施したところ、30例中30例(100%)に共通して、このSRV-4ウイルス遺伝子がみつかりました。一方、発症したサルとまったく接点のないサルでは、いずれもこのSRV-4ウイルス遺伝子はまったく検出されませんでした。
興味深いことに、発症した個体について抗SRV-4抗体を検討したところ、解析した全ての例で抗体が陰性(マイナス)でした。つまり、SRV-4陽性なのにウイルス抗体は陰性です。このことから、何らかの要因により抗体が存在しないニホンザル個体がおり、このようなサルではウイルスをコントロールできず、その結果ウイルスが血小板の元となる骨髄細胞を傷害したものと考えています。なぜ骨髄に傷害があらわれるのか、その原因については検討中です。
また、発症したサルは「SRV-4陽性なのにウイルス抗体は陰性である」、という今回新たに判明した事実が、この病気の原因究明に手間取った理由を説明してくれます。約10年前の第1期のアウトブレイクのときに、すでに原因のひとつの可能性としてSRV(当時はSRV-4は未知でした)を疑いました。ただし、当時は、このウイルスの抗体検査しか技術的にできませんでした。その結果、ウイルス抗体は陰性でした。その後の科学の進歩によって、SRV本体の検出が可能になりました。それはごく最近のことであり、2010年になってようやくSRV-4ウイルスの塩基配列が解明され報告されています(Zao
et al. (2010)Virology, 405, 390-396)。
今回の原因究明を受けて、現在霊長類研究所で飼育しているニホンザルとそれ以外のサル類についても同ウイルス感染の有無を検証しています。サル類の血液・糞便等のサンプルについて、多角的なウイルス検査(抗ウイルス抗体検査、ウイルスRNA検査、プロウイルスDNA検査)を進めました。
霊長類研究所で飼育するカニクイザル全30頭の検査をしたところ、うち13頭(全体の約3分の1)で、このSRV-4ウイルスへの既往感染が確認されています。このことや移動歴調査から、今回の発症ニホンザルから検出されたウイルスの第1感染は、カニクイザルの感染個体由来と推定しています。ただし、霊長類研究所のカニクイザルではニホンザルのような症状をひきおこした例はありません。また、カニクイザルの自然の生息地は東南アジアですが、そうした自然の生息地においても、今回のニホンザルの疾病のような報告例はありません。
なお、霊長類研究所で飼育するアカゲザルやボンネットモンキーでもSRV陽性の個体がわずかですが認められています。SRVは、その血清型から1型?7型に分類されており、それらは6型を除き、マカカ属のサルに感染していることが知られています。ただし、ニホンザルからの報告はこれまでありません。今回、アカゲザルやボンネットモンキーで検出されたSRVが、SRV-4かどうか、現在解析中です。
ニホンザルも、アカゲザルも、カニクイザルも、同じオナガザル科マカカ属のサルです。同じ属の別種で、進化的に近い関係にあります。そもそも自然界では、日本だけにすむニホンザルと、東南アジアにすむカニクイザルは、地理的に離れて暮らしています。したがって両者が自然に出会うことはまったくありません。しかし霊長類研究所という施設の特殊性では、両者が出会うことがあります。たとえば病気やケガのサルは種類が違っても治療のために同じ病室に集めていました。また、研究上の要請で、異なる種類のサルを別ケージですが同じ室内で飼育していた時期があります。過去のこうした事態が契機となって、近縁なサル類のあいだでSRV-4の個体間伝播が起こり、ニホンザルでのみ特異的に血小板減少症の発症に到ったと理解できます。このSRV-4というレトロウイウルスの性質上、感染したサルの糞便等からの経口・飛沫感染が主たる感染経路と考えられます。空気感染はしません。なお、人を含めてニホンザル以外の霊長類では、このSRV-4感染により急性の血小板減少症を起こした例はありません。すなわち、ニホンザルのみでひきおこされる病気だと考えるのが妥当です。
ただし、SRV-4がこの病気の原因であるということを最終的に厳密に証明するためには、このウイルスをニホンザルに実験感染して同様の病気が再現されるか否かを検討する必要があります。今後はそうした証明にも取り組む計画ですが、そのためには、ウイルス感染が広がらないよう特殊な封じ込め施設での感染実験が必要となります。したがって、ウイルス感染症の究明を専門とする研究機関と協力して今後の研究を進め、さらにはそうして感染したサルの治療方法の開発が期待されます。
3)人への感染ならびに発症について
サルレトロウイルスの人への感染性は極めて低いといえます。これまでに人への感染は何例か論文報告がありますが、病気としての発症例はありません(典拠:Lerche
et al., (2001) Journal of Virology, 75(4), 1783-1789; 第11回レトロウイルス日和見感染会議要旨、2004年2月8日?11日、サンフランシスコ)。人を取りまく自然環境には多くの感染性微生物が存在しています。したがって人は、常に、それらの病原体に暴露される可能性があります。それらの感染を防御することは、常日頃から念頭に入れておく必要があるでしょう。その一方で、感染しても発病に至らない微生物、というものも実際に数多く存在しています。
現在までの知見に照らし合わせれば、サルレトロウイルスという存在については、必要以上に大騒ぎするのではなく「じゅうぶんに注意する」という態度をとることが妥当だと思います。現在、東南アジアの国々では、街中でカニクイザルが往来している場所が少なくなく、その中には、サルレトロウイルスに自然感染しているかもしれないカニクイザルたちも含まれます。そのようなサルレトロウイルスの感染が疑われるカニクイザルを扱う我が国の研究者やサル飼育管理者の方々は、サル類に無用に近づかないとか、感染を防御できる衣服つまり手袋やマスク、眼鏡等の装備を身につければ、感染それ自体をゼロにすることはじゅうぶんに可能です。また万が一このサルレトロウイルスに感染しても、上述の通り、人では病気として発症することはないものと思われます。
ニホンザル血小板減少症の今後の対策に関する報告
京都大学霊長類研究所
所長、松沢哲郎
ニホンザル疾病対策第3者委員会の報告を受けて、SRV-4と深い関連をもつニホンザル血小板減少症の発生ゼロを目指します。
1)今後の対策
このニホンザルの疾病(ニホンザル・サルレトロウイルス関連流行性血小板減少症)の発生を速やかにゼロにするために、感染したニホンザルについては厳重に隔離し、必要に応じて京都大学動物実験委員会と協議の上、安楽死の処置をおこなうとともに、診断と予防の方法の確立を急ぎます。
この病気の感染・発症率は低く、研究所に約800頭近くのニホンザルがいて、月に1頭程度の発症です。5月に1頭、6月に1頭、7月に1頭、8月は0頭、9月に1頭、なお9月8日以降現在(11月4日)までほぼ2か月近く発症はありません。事態は収束の方向に向かっていると認識します。
PCRによるウイルス検査または抗体検査で陽性だったニホンザル、および複数の発症個体と長期間同居していたニホンザル等の発症の可能性が高いと考えられるニホンザルは、すでにすべて隔離し、獣医師の管理のもとで飼養しています。また、発症個体の近くにいたサルについては、特定の飼育室に集めて他のサルと接することがないようにするとともに、飼育担当者による伝播が起こらないように消毒を徹底する等配慮しております。これらのサルについては、引き続き経過を観察します。
このSRV-4の感染力(伝播力)はそれほど強くありませんが、ウイルスは糞便中にも排出されます。したがって、ウイルス感染を他のニホンザルへと広げる可能性があります。また、罹患すると重篤な症状を呈し高い確率で死にいたります。したがって、検査の結果、現在ウイルスを産生していると認められた個体は、他の個体に病原体を伝播する前に、また病気が重篤になり多大な苦痛を感じる前に、安楽死を施す必要があります。そのうえで、この新たに発見した疾病であるニホンザル血小板減少症の診断法と予防法の確立、さらには治療法の開発に向けた研究を早急におこない、この疾病の根絶をめざします。
2)情報開示
情報開示については、関係機関への通報、論文公表、記者発表、ホームページでの周知という方法をとってきました。
具体的には、本年(2010年)3月29日に国立大学法人動物実験施設協議会(国動協)ならびに国動協を通して公私立大学動物実験施設協議会(公私動協)に所属する動物実験施設等に対し注意喚起の報告をしました。さらには7月1日にオンライン公刊された『霊長類研究』で情報論文として公表しました。「ニホンザルの出血症(仮称)について」、
霊長類研究), Vol. 26, pp.69-71 (2010)です。
公表論文にもとづいて、7月7日に記者会見(7月9日に報道解禁)して、一般にも広く事実をお知らせしました。7月14日には内閣府において各省庁に状況報告し、情報の共有をはかりました。それを受けて文部科学省ならびに農林水産省及び厚生労働省から、各サル類飼養関係機関に病気に関わる問い合わせ通知がなされました。その後は「よくある質問集」を研究所ホームページの冒頭に掲げて、研究者やメディアや一般の方々から寄せられた質問に、逐次、迅速にお答えしてきました。
7月31日に、第3者による客観的な状況把握をするためにニホンザル疾病第3者委員会を新たに設置しました。霊長類研究所外の有識者5名の方からなる中立機関としての委員会です。具体的には、吉川泰弘・北里大学教授(委員長)、松岡雅雄・京大ウイルス研究所長、森川茂・国立感染症研究所ウイルス第1部第1室長、鳥居隆三・滋賀医科大学教授、佐倉統・東京大学教授の5名です。第3者委員会に細部にわたる解析結果を提示して、助言・示唆をもとに原因究明を続けました。なお、9月5日に、ウイルス感染症を専門とする研究者と、第3者委員会委員に参集いただいて、その時点までに得られた成果をもとに議論を重ね、原因究明の進め方を審議しました。そこで得られた方針に添って、その後も粛々と解析を進めて今日に到っています。
情報開示については、引き続き、この第3者委員会等の助言をもとに適切に進めていく所存です。
今回の事例から、日本の固有種であるニホンザルは、本来は日本に生息していない近縁なサル類が自然感染しているウイルスによって、重い病気を発症する可能性があることが示唆されます。日本に唯一の霊長類研究所として、今回新たに発見されたニホンザルの疾病について、さらなる究明と解決をはかるとともに、そうしたこれまで顕在化していない課題についての啓発に向けた努力を継続いたします。
3)謝辞
なお、今回のニホンザルの病気の原因究明にあたっては、以下の研究機関からご協力やご指導をいただきました。社団法人予防衛生協会、国立感染症研究所、大阪大学微生物病研究所、信州大学ヒト環境科学研究支援センター、長崎大学熱帯医学研究所、北海道大学人獣共通感染症リサーチセンター、京都大学ウイルス研究所、京都大学理学研究科生物物理学教室、東京大学農学生命科学研究科獣医病理学研究室、コロンビア大学感染免疫研究センター。なお、個人のお名前は挙げませんが、多くの皆様方が連日連夜のご尽力をくださり、比較的短期間で原因の理解に到ったことを深く感謝いたします。また、この間、文部科学省をはじめとする関係省庁ならびに諸機関そして一般の皆様方に、ご憂慮、ご懸念をおかけしましたことを銘記して、さらなる安全と安心の確立のもと、霊長類の総合的研究を推進していく所存です。
最後に、本疾病の解析や検査にあたっては、上述の研究機関のご協力とともに、霊長類研究所の運営費に加えて環境省の環境研究総合推進費「高人口密度地域における孤立した霊長類個体群の持続的保護管理」ならびに京都大学グローバルCOEプログラム「生物の多様性と進化研究のための拠点形成―ゲノムから生態系まで」の支援を受けました。銘記して感謝の意を表します。
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