京都大学霊長類研究所 年報
Vol.38 2007年度の活動
X 共同利用研究
2 研究成果
5-1 霊長類の気質測定に関する研究
今野晃嗣 (東北大・院・文)
本研究は, 霊長類の行動上の個体差, すなわち気質を総合的に理解することを目的とする. 今年度は, ヒトの評定に基づいてニホンザルの気質を捉えようとした. 従来, 大型類人猿だけに用いられてきたHominoid Personality Questionnaire: HPQ (Weiss et al. 2006) をニホンザル用に改変し, その信頼性を検討した. 対象は, オトナの飼育下ニホンザル6頭だった. サルの普段の行動を把握している飼育スタッフ6名が, 対象のサルの行動傾向について, HPQに評定した. サル1個体につき2名の飼育員が独立に評定を行った. 気質評定の信頼性指標として, 下位尺度の内的整合性と, 2名の評定値の相関係数を算出した. 先行研究の結果 (Weiss at al. 2006) に基づいて下位尺度の項目を精選して, 尺度の内的整合性の指標であるCronbachのα係数を求めたところ, 5尺度とも十分な値が得られた (α>0.7). 2名の評価者間信頼性の値は個体によって異なったが, 6頭中4頭で有意な相関が得られた. 以上より, 性格評定の信頼性は十分確保できることが示唆された. 今後, 個体数を増やし, ニホンザルの気質構造を検討することが求められる. また, 神経伝達物質に関与する遺伝子多型が霊長類でも報告されており, 気質との関連解析が期待できる.
5-2 霊長類における社会的シグナル (視線・身振り) の認識の多様性について
服部裕子 (京都大・院・文)
ヒトを含め多くの霊長類種にとって, 視線や身振りといった社会的シグナルは他者とのコミュニケーションを行う上で重要な役割を果たしている. しかしながら例えば, 同じ「こちらを向いた視線」でも, ある種にとっては威嚇の意味を持つのに対して別の種には親和的な意味を持つなど, 種によって認識の仕方に多様性が見られる. そこで本研究ではニホンザル乳児を対象に他個体の視線に対する感受性の発達を調べた. 方法は, 選好注視法を用いて同じ個体の「こちらを向いている視線」および「逸れた視線」の顔に対する感受性を調べた. その結果, 2~3ヶ月齢では2つの刺激に対する注視時間に差が見られなかったが, 5~6ヶ月齢では「逸れた視線」の写真を長く見る傾向が得られた. これまでの研究から, ヒトは発達の初期の段階から「こちらを向いた視線」をより長く見ることが知られているが, ニホンザルでは逆に「こちらを向いた視線」を避ける行動傾向が見られたことから, 視線に対する発達はニホンザルでは異なることが示唆される.
5-3 チンパンジーの他者に対する禁止行動の生起
赤木和重 (三重大・教育)
チンパンジーにおける社会的参照行動について検討した実験 (平成17年度に実施) について再分析を行った. 霊長類研究所に所属するチンパンジー幼児3個体および成人3個体の前で, ヒト実験者が, 箱を空けた際に恐怖を表出した. その結果, 全てのチンパンジーが, 他者の恐怖提示後15秒以内に, 箱と他者を交互注視し, また, 箱に対して警戒的な行動をとった. さらに, 新たな分析の結果, 幼児3個体の場合, 直接, 恐怖を示していない母親に対しても社会的参照を示した.
これらの結果から, 先行研究に比べ不確実な状況においても, 社会的参照行動がみられることが示唆された.
5-4 チンパンジーにおける美的知覚と描画行動
齋藤亜矢 (東京藝術大・院・美術)
表象描画の起源に着目し, チンパンジー 6個体とヒト幼児を対象に, 模倣して形を描く描画模倣課題と, 目などの一部が欠けた顔の線画に描く描画補完課題をおこなった. 前年度から継続して観察しているヒトの縦断的な発達過程を定量的にまとめ, チンパンジーの描画と直接比較した. 模倣課題において, ヒトは, 見本に対応して描く線の位置を変える, 動作を模倣して線のパターンを変えるという段階を経て, 見本の形を描く目的を模倣し, かつ線を調整する技術がともなって初めて形を模倣できるようになった. チンパンジーで観察された形をなぞるという行為は, ヒトでは縦線模倣の初出平均年齢以降に現れることが明らかになった. 補完課題で, チンパンジーはすでに描いて「ある」部位に重ねて描くことはしても,「ない」部位を補完して描きこむことはなかった. ヒトでは2歳半以降に「ない」部位を補うようになったが, それ以前に描いて「ある」部位に限定して重ねる段階があることが明らかになった. チンパンジーが表象を描かない要因として, 線の制御という技術的な問題ではなく,「ない」ものを補うという認知的な問題が関わっていることが示唆された.
5-5 チンパンジー・ニホンザルにおける対象の認知的処理能力についての比較研究
村井千寿子 (玉川大・脳科学研究所)
チンパンジーおよびニホンザルが, 対象間の関係性を物理法則に基づいて認識しているかどうかを調べるため, ヒト乳幼児研究で一般的な注視時間を指標とした期待違反事象課題を用いて検討した. 本研究では, とくに支持事象における法則 (対象は土台からの適切な支持を失うと, 空中にはとどまらず落下する) の理解に焦点を当てた. 実験では, 支持事象の基本法則である「①対象と土台の接触の必要性」,そして事象におけるより詳細な属性である「②支持の方向性 (対象支持における垂直方向からの土台による作用の必要性)」と「③接地量 (対象と土台の十分な接地量の必要性)」の3点について検討した. これらの認識はヒト乳児では生後3-6.5ヶ月の間に発達する. 霊長研のチンパンジー7個体, 同所および玉川大のニホンザル4個体を対象に実験を行った結果, 両種において, ①ならびに③に関する認識を示す証拠が得られた. ただし, ②支持の方向性についてはそのような証拠が得られなかった. これらの結果は, ヒト以外の霊長類が対象同士の関係性を物理法則にのっとって認識していることを示唆する一方で, ヒトとは異なる認識を発達させた可能性を示すものである.
5-6 ヒトとチンパンジーにおける情動的コミュニケーションの比較発達研究
松阪崇久 ( (財) 日本モンキーセンター)
年度の前半には, 滋賀県内の保育園のヒト幼児を対象とした調査で得られたデータの分析を行った. 自由遊びの時間に観察された笑い声に注目し, ヒトの笑いと相同と考えられる野生チンパンジーの「笑い声」との比較を行った. その結果, くすぐりや追いかけっこにおける笑い声にはヒトとチンパンジーとで共通点も見られたものの (Matsusaka 2004, Primates 45: 221-229), 他者の失敗などへの「嘲笑 (攻撃的な笑い)」があることなど, ヒトに特徴的だと考えられる点が幾つか明らかになった. この内容は, まず日本子ども学会などにて発表したのち, さらに笑いの進化について考察を加えた総説論文を執筆し, 学術誌に投稿中である.
年度の後半には, タンザニアのマハレ山塊国立公園において, 野生チンパンジーの野外調査を行った. おもに未成熟個体を対象として個体追跡を行い, 攻撃的行動や闘争後の行動の発達についてのデータを収集した. 闘争時の悲鳴の起こり方やその後の交渉などにヒトとの相違点があるという印象を掴んだ. 今後, 更に詳細にヒト幼児との比較を行う予定である.
5-7 チンパンジーにおけるパターン優位効果の検証
後藤和宏 (慶應義塾大)
本研究の目的は, チンパンジーにおけるパターン優位効果を検証することである. パターン優位効果とは, ヒトの視覚に関する実験で, 右上がり, 左上がりの斜め線分の弁別において, 線分だけを弁別する時よりも両方の刺激に「L」字のコンテクストが付加された時に反応時間が短くなることをいう. 昨年度の共同利用研究で, すでにチンパンジーでもヒトと同様のパターン優位効果が見られることが確認された. 本年度は, チンパンジーでもヒトと同様に付加するコンテクストによっては優位効果ではなく阻害効果が見られることが明らかになった.
また, これまで斜め線分を弁別要素とする刺激を用いて実験を行ってきたが, 本年度は, さらに4種類の新しい刺激セットを用意し, パターン優位効果を追試した. これらの刺激のうち2種類は斜め線分同様, 平面的な図形であり, 残り2種類は立方体, 円錐といった3次元的な図形であった. チンパンジーもヒト同様, 平面的な図形ではパターン優位効果が確認されたが, チンパンジーでもヒトでも3次元的な図形ではパターン優位効果が見られなかった (ヒトの先行研究では同じ刺激でパターン効果が見られている). 先行研究と本研究の結果が一部一致しなかったのは, 先行研究ではキーボードを入力しているのに対して本研究ではタッチスクリーンを入力デバイスとして用いているなどの実験手続きの違いによるものかもしれない. 今後, さらなる検証が必要であろう.
5-8 物体ベースの注意の側面からみた視覚認知の霊長類的起源
牛谷智一 (千葉大・文)
チンパンジーを用いた過去2年間の研究では, 標的の呈示に先立って手がかりを呈示し, 両者が同じ物体内に位置する条件の方が, 別々の刺激に位置する条件よりも標的刺激への反応時間が短いことを確認した (物体ベースの注意). 昨年度は, 他の物体によって一部隠蔽された物体であっても, 隠蔽部分を知覚的に補間して, その物体全体への注意が賦活されることを明らかにした. 今年度は, これまでの成果を応用し, ヒト以外の動物ではほとんど報告のない透明視を調べた. 隠蔽条件では, モニタ上に2つの長方形をX型に重ねて配置し, さらに透明視条件では, ヒトにとって一方が透けて向こうの片方が見えるような輝度配置にした. 統制条件では, 透明視と同じ輝度配置ながら, 輪郭の配置をずらすことにより, 長方形が分断されたように見える刺激を呈示した. 手がかりと同じ物体内に出現した標的刺激への, チンパンジーの反応時間は, 隠蔽条件と透明視条件では短く, 統制条件では遅かった. チンパンジーが透明視を知覚し, 透明視によって1つとなった物体全体を賦活するような注意過程があることが示唆された.
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