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京都大学霊長類研究所 年報
Vol.37 2006年度の活動
X 共同利用研究
2 研究成果
(1) 計画研究
1-1 物体ベースの注意の側面からみた視覚認知の霊長類的起源
牛谷智一(千葉大・文)
対応者:友永雅巳
チンパンジーを用いた昨年度の研究では,標的の呈示に先立って手がかり(先行刺激)を呈示し,それらが同じ物体内に位置する条件の方が,別々の刺激に位置する条件よりも標的への反応時間が短いことを確認した.すなわち,先行刺激の呈示された物体全体への注意が賦活され(物体ベースの注意),標的へと注意が移動するコストが低くなったと考えられる.今年度は,引き続きチンパンジーを用いて,他の物体によって一部隠蔽された物体であっても,隠蔽部分を知覚的に補間して,その物体全体への注意が賦活されるか調べた.長方形の上に別の長方形を重ね,それを「くぐって」移動する注意のコストを,長方形の断片から断片へと移動するコストと比較した.水平に3つないし4つの長方形を並べた刺激を用いた最初のテストでは,いずれの条件でも同じ反応時間のパターンを示し,隠蔽された部分を補間して物体全体に注意の賦活している証拠が見られなかった.そこで,ただ2つの長方形をX型に重ねて配置して,刺激をより単純にしてテストしたところ,隠蔽された部分を知覚的に補間して,その物体全体への注意が賦活されている証拠が得られた.
1-2 チンパンジーの性格評価法の比較
村山美穂(岐阜大・応用生物)
対応者:松沢哲郎
ヒトでは,性格に関与する遺伝子が多数報告されている.チンパンジーでも同様の解析を行うには,個体の性格評価が必要となるが,評価法はまだ確立されておらず,遺伝子多型の情報も不十分である.
本研究では,Edinburgh 大学のAlexander Weissとの共同で,Kingら(2005)のヒト用性格評価を用いて評価を行い,以前に我々が行ったYG性格テストの結果と比較した.また,チンパンジーのゲノム情報(2005)を活用して遺伝子多型を探索した.
霊長類研究所で飼育されているチンパンジー14個体について,54の質問項目に7段階で評価を依頼した.1個体につき3名が評価したが,評価者間の差異は小さかった.また4項目からなる「幸福度」の判定も行った.他施設のチンパンジーとあわせて計120個体を解析した結果,54の質問項目は,Dominance,Extraversion,Conscientiousness,Agreeableness,Neuroticism,Opennessの6要素に分類され,YG性格テストの性格要素や「幸福度」との関連が見られた.
また,新たに,モノアミンオキシダーゼAとBの2遺伝子のイントロン領域に,チンパンジーで多型を見いだした.
1-3 チンパンジ-幼児の砂遊びにおける象徴的操作の実験的分析(4)
武田庄平(東京農工大・農・比較心理)
対応者:松沢哲郎
不定形な“かたち”ゆえの多義的性質を有する砂の操作を自発的な遊びという文脈の中で捉え,チンパンジ-幼児の認知機能の発達的分析を6歳齢~6歳9ヶ月齢段階において行った.実験は,霊長研・類人猿研究棟地下実験ブ-スで行い,被験者は,アイ-アユム,クロエ-クレオ,パン-パルの母子3ペアとし,母子同伴場面での砂の対象操作の実験・観察を,砂5kgと複数の道具を自由に操作できる自由遊び場面において,実験者同室/非同室の2条件を設定し,各母子・各条件1セッション(30分)づつ行った.
幼児における砂の操作行動の発達について,これまで得られた結果と併せてまとめる.2歳齢では大半が砂と身体との直接的な関わりであったが,3歳齢以降では,道具を使っての砂の操作が現れ始め,3歳6ヶ月齢では明確に砂を道具間で移動させる操作等が出現し,さらに4歳齢以降では,砂をコップに入れて砂を飲み物に見立てた“飲むふり”を行ったと理解できる操作や,砂を他者に投げつけるという自身-砂-他者の三項関係的操作も見られた.5歳齢以降でこのような操作が多く出現すると予測されたが,三項関係的な操作のみが比較的安定的に見られた.また6歳齢以降の段階になると,例えば砂を道具ですくい別の道具に移し更にその砂に別の操作を加えるという2段階を越える階層的な操作を行うことが,頻度的にはそれほど多くはないにせよ特徴的に現れ始めた.これらの発達傾向をヒト幼児(1~5歳児)においておこなった類似条件下での砂の対象操作実験結果と比較するとヒトにおける砂の対象操作行動の発達とチンパンジーのそれとは実は大筋あまり違いがなく,細かな質的な差を以って両者の違いが示され得るという興味深い結果を得た.
1-4 チンパンジーとマカクザル乳児における絵画的奥行知覚
伊村知子(関西学院大・文)
対応者:友永雅己
絵画的奥行き手がかりが背景に与えられると,2次元平面に描かれた図形でも,大きさの恒常性がはたらき,同じ大きさの図形が異なる大きさに知覚されることがある(大きさの恒常性錯視).本研究では,チンパンジーの成体4個体を対象に,線遠近法,影(キャストシャドウ),運動情報の手がかりが大きさの恒常性錯視に及ぼす効果について検討した.その結果,4個体中1個体のチンパンジーで線遠近法,影,あるいはその両方の手がかりと運動情報によって定義された「遠く」に小さい方のボールが呈示されると,大きさ弁別の正答率が低下した.すなわち,個体差はあるものの,チンパンジーにおいても大きさの恒常性による錯視が生じた.
また,昨年度に引き続き,15-25週齢のニホンザルの乳児を対象に,影を手がかりとした物体の3次元運動軌跡の知覚について馴化-脱馴化法を用いて検討した.影の運動軌跡により「接近-後退」運動するボールが知覚される画像に馴化させた後,影の運動軌跡のみを変化させ,「上昇-下降」運動するボールが知覚される画像を呈示した際に,注視時間の増加(脱順化)が見られるかを検討した.その結果,ニホンザルの乳児においても,影の運動から物体の運動軌跡の差異を弁別できることが示された.
1-5 他者の否定的な情動に対するチンパンジーの反応
赤木和重(三重大・教育)
対応者:松沢哲郎
本年度は,昨年度に実施した研究の分析作業・執筆を中心に行った.社会的知性の1つである社会的参照について検討した.具体的には,霊長類研究所に所属するチンパンジー幼児3個体,成人3個体を対象に,日常使用している箱を他者(ヒト)が開けた際に恐怖を表出する状況を設定した.「他者が何に恐怖を提示しているのか明瞭でない」という場面を設定することで,社会的参照行動の有無を検討した.分析の結果,以下の3つが明らかになった.1つは,全てのチンパンジーが,他者の恐怖提示後15秒以内に,箱と他者を交互注視した.2つは,いずれのチンパンジーも,箱に対して避けるなどの警戒的な行動をとった.3つは,これまでの先行研究と異なりヒトに育てられていないチンパンジーにおいても社会的参照がみられた.これらの結果から,先行研究に比べ不確実な状況においても,社会的参照行動がみられることが示された.このことは,チンパンジーにおける社会的参照行動が頑健なものであることを示唆している.以上の成果を,「科学」06年12月号,および,日本発達心理学会(07年3月)にて発表した.今後,英語論文として投稿する予定である.
1-6 チンパンジーとニホンザルにおける声道形状の成長変化に関する研究
西村剛(京都大院・理・自然人類)
対応者:濱田穣
ヒトの話しことばの形態学的基盤である声道の二共鳴管構造は,生後,急激な喉頭下降現象による咽頭腔の伸長と,幼児期以降の口腔の伸長鈍化によって完成する.すでに,チンパンジーは,ヒトと同様の喉頭下降を有している一方,ヒトと異なり口腔の伸長が持続することを確認した.この成長現象の進化プロセスを明らかにするために,チンパンジー幼児3個体(アユム,クレオ,パル)に加え,ニホンザル乳幼児6個体を対象に,定期的に磁気共鳴画像法(MRI)を用いて頭部矢状断層画像を撮像し,それらの声道形状の発達を比較分析した.平成18年度中に,チンパンジーでは6歳6ヶ月までの資料,ニホンザルでは3歳10ヶ月までの資料を追加した.分析の結果,ニホンザルでは,喉頭下降現象を構成する舌骨の口蓋に対する下降が認められるが,ヒトやチンパンジーと異なり喉頭の舌骨に対する下降が認められなかった.一方,口腔の伸長はチンパンジーと同様であった.これらの結果から,声道の二共鳴管構造は,少なくとも狭鼻猿の共通祖先で舌骨の口蓋に対する下降が,ヒトとチンパンジー(おそらく現生類人猿)の共通祖先で喉頭の舌骨に対する下降が現れて喉頭下降現象が完成し,次に,ヒト系統で顔面が平坦になり口腔の伸長が鈍化したことによって完成したという進化プロセスが示唆された.
1-7 霊長類における「向社会行動」の基盤となる下位能力
服部裕子(京都大・文)
対応者:友永雅己
本研究では昨年度に引き続き,実験1としてニホンザル乳児を対象に他者の視線の感受性について,実験2としてチンパンジーを対象に自発的な身振りの生成と他者の注意状態の認識について調べた.結果,実験1では6ヶ月齢児では同じ同種他個体の顔写真でも,「こちらを向いた」視線より「逸れた視線」の写真を良く見る傾向があったのに対して,3ヶ月齢児ではそうした違いは見られなかった.このことから,ニホンザルは3ヶ月齢以降,他者の視線を避ける行動傾向が発達していくことが示唆される.実験2では,被験体が普段生活している居室において,ヒト実験者に対して餌をねだるという日常生活で見られる文脈を利用し実験を行った.実験者が「餌を見る」,「被験体を見る」,「目を閉じる」,「背中を向ける」という様々な注意の状態に対して行われる餌ねだりの身振りの回数を行動指標として調べた.実験者が餌を持っている時には「被験体を見る」と「目を閉じる」という細かな視線の状態まで回数の違いが見られた個体がいたのに対して,餌がテーブルの上に置かれた時にはそうした違いは見られなかった.このことから,チンパンジーは細かな視線の状態の違いまで敏感に反応し,柔軟に身振りの生成を行っていることが示唆される.しかしながら,餌がテーブルの上に置かれているときには,そうした違いが見られなかったことから,他者の注意を自分以外の対象物に引き付けることが難しいと考えられる.
1-8 チンパンジーにおける注意と行動の抑制能力とその発達的変化について
森口佑介(京都大・文)
対応者:田中正之
本研究は,チンパンジーの注意と行動の抑制能力とその発達を,成体チンパンジー(3個体)とチンパンジー幼児(3個体)を対象に検討した.本研究では特に,ヒト3~5歳児に用いられるDimensional Change Card Sort課題を用いて実験を行った.この課題では,コンピューターのモニター上で,標的(大きな丸と小さい三角)に対して,刺激(小さな丸や大きな三角)を分類するように求められた.参加者は,まず,「形」「サイズ」いずれかの性質に着目して分類することを学習した(第1段階).5連続成功すると,画面が変わり,それまでとは異なる性質に着目して5連続成功することを求められた(第2段階).例えば,参加者が第1段階で「形」に基づく分類を学習した場合,第2段階では「サイズ」に基づく分類が求められた.この課題を到達するためには,第2段階において,第1段階で使用したルールを抑制し,新しいルールを使用しなければならなかった.その結果,成体チンパンジーもチンパンジー幼児も,第1段階を通過することはできたが,第2段階に通過することに困難を示した.つまり,第2段階において,第1段階で用いたルールを使用してしまったのである.この結果は,第1段階に通過できるが,第2段階に困難を示すというヒト3歳児の結果と一致している.チンパンジーの抑制能力は,ヒト3歳児と類似しているかもしれない.
1-9 チンパンジーを対象とした色弁別課題における先行刺激の位置の効果とその発達
松澤正子(昭和女子大・人間社会)
対応者:田中正之
筆者らはチンパンジーにおける空間的注意機能の発達を検討している.本年度は色弁別課題における空間的注意の効果を調べることを予定していたが,この課題の実施が当初の予想以上に困難であったため目的を変更し,注意の解放(disengagement)機能について調べた.
霊長研のチンパンジー幼児3個体,成体5個体,ならびにヒト成体5人を対象に実験を行った.実験では,モニターの中央に固視刺激が現れた後,右または左にターゲットが現れ,被験者にはターゲットに対する接触反応が求められた.固視刺激が消えずにターゲットが現れる条件と,固視刺激が消えた後時間間隔(0~800ms)をおいてターゲットが現れる条件を設けて反応潜時を比較した.その結果,チンパンジー幼児において,ヒト成体と同様に,固視刺激が消えない条件での反応潜時の増長が観察された.このような固視刺激による反応の抑制は,固視刺激に向かっている注意を解放することの困難によると解釈される.一方,チンパンジー成体ではこのような傾向がみられず,発達的な変化が示唆された.
1-10 チンパンジーにおける視覚探索課題を用いた大域・局所特徴処理の検証
後藤和宏(慶應義塾大)
対応者:友永雅己
本研究の目的は,チンパンジーがヒトと同様にチンパンジーが視覚刺激のゲシュタルト的な創発的特徴を知覚するかどうかを検証することである.ヒトの視覚に関する実験で,右上がり,左上がりの斜め線分の弁別は,線分だけを弁別する時よりも「L」字のコンテクストを付加した時に反応時間が小さくなることが知られている(パターン優位効果; Pomerantz et al., 1977).チンパンジーでも同じような効果が見られるのであろうか?実験課題ではコンピューターの画面上に4つの項目が呈示された.これらのうち1つは他の3つとは異なる項目であり,これを選ぶのが正解であった.刺激線分の傾きは垂直から11.25度ずつ時計回りに5段階傾けることで弁別難易度を操作し(Oblique Effect: Donis, 1999),線分だけの条件と,これらの線分に対してL字のコンテクストを付加した条件での反応時間を比較した.実験の結果,チンパンジーもヒトも要素刺激では線分の傾きによって反応時間が線形的に大きくなった(系列探索).これに対して,コンテクストを付加した刺激では線分の傾きにかかわらず反応時間は一定であった(並列探索).これらの結果は,チンパンジーがヒト同様に創発的特徴を知覚するだけでなく,その創発的特徴の視覚処理のメカニズムも類似していることを示している.
1-11 チンパンジーにおける美的知覚と描画行動
齋藤亜矢(東京藝術大・院・美術)
対応者:田中正之
昨年度の研究ではチンパンジーがモデル刺激に対応してペンを細かく定位して線を調整できることを明らかにした.今年度は線を調整して表象的な描画ができるか検証するために,ヒト幼児で表象的な描画が出現しやすい顔刺激に対する描画行動を観察した.チンパンジー6個体を対象に,完全な顔,右目なしの顔,左目なしの顔,両目なしの顔,輪郭のみの顔の5つの線画刺激を用いた.ヒト幼児での結果をもとに作成した分類基準により描画行動を分類した.チンパンジーは,描かれていない部位を補完して描きこむことはなかったが,すでに描かれた部位への重ねがき,刺激の線への重ねがき,描かれた部分を避けた空白部への描きこみが多くみられた.ヒトでは,1歳後半で顔内部への描画の集中,2歳前半で描かれた部位への重ねがきが多くなり,顔の「ない」部分への補完は2歳半以降に多くなった.ヒトは手の調整が不完全なうちから「ない」部位を補完しようとする傾向があるのに対し,チンパンジーは刺激をなぞるなど線を細かく方向づけできるが,刺激の線に集中する傾向があり,「ない」部位を補って描くのが難しいことが明らかになった.
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