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京都大学霊長類研究所 > 年報のページ > 2005年度 > I 巻頭言 京都大学霊長類研究所 年報Vol.36 2005年度の活動I 巻頭言所長 松沢哲郎研究所の諸活動の報告をさらに深くご理解いただくために,「巻頭言」という場で,研究所の設立趣旨に言及したい. 京都大学霊長類研究所は,「全国共同利用の附置研究所」である.つまり,共同利用研究という枠組みで全国の研究者が利用できる施設だが,歴史的な経緯もあって京都大学にその運営の責任が委ねられている. 霊長類研究所の設立には,おおまかに言って2つの異なる研究領域の協力があったといえるだろう.京都大学を拠点とした野外研究と,東京大学を拠点とした実験研究の伝統である. ひとつの伝統は,今西錦司さん(1902-1992,本学名誉教授)らに代表される,京都大学を拠点として野外研究を推進した人たちの研究である.戦後まもない昭和23年(1948年)の暮れに,今西錦司さんと伊谷純一郎さん(1926-2001,本学名誉教授で当時は学部学生)と川村俊蔵さん(1924-2003,本学名誉教授で当時は学部学生)の3人が,宮崎県都井岬の野生ウマの調査の帰途,幸島に立ち寄り,野生ニホンザルの調査を開始した.幸島にすむサルはすでに地元の方々の努力で国の天然記念物に指定されていたのだが,その生態や社会はまだ知られていなかった. 幸島の研究を先駆けとして,野生ニホンザルの研究は,高崎山や嵐山や下北半島や志賀高原や屋久島など,日本各地で展開された.昭和31年(1956年)に,名古屋鉄道株式会社など経済界の支援があって,民間の研究施設として財団法人・日本モンキーセンター(JMC)が愛知県犬山市に設立された.そこが母体となって,昭和33年(1958年)には,今西さんと伊谷さんによるアフリカの大型類人猿調査隊が送り出された.当初はゴリラが調査目標だったが,すぐにチンパンジーに対象を移した.野生チンパンジーの研究で高名なジェーン・グドールさんがタンザニアのゴンベで調査を開始する2年前のことである.後に,霊長類研究所が京都大学に附置され,そして犬山市に位置するのは,先行して活動を開始したJMCと隣接することで,その地の利を活かそうという構想にあった. 霊長類研究所の設立に関わるもうひとつの伝統は,時実利彦さん(1909-1973)らに代表される,東京大学を拠点として実験研究を推進した人たちの研究である.飼育下のニホンザルなどを対象にした研究をおこなった.時実さんとその門下生たちは,現在で言うところの脳科学・神経科学の研究領域のパイオニアだったといえるだろう.大脳皮質と辺縁系との役割の違いの重要性を指摘し,連合野と呼ばれる人間で著しく発達した脳領域を対象にして,サルの脳の神経細胞の電気的活動を記録した.人間の脳の活動を知るうえで,ニホンザルの存在は欠かせない.あまり一般に意識されていないが,サミットとかG8とか呼ばれる先進諸国のなかで,土着のサル類がいる国は日本だけだ.アメリカにもイギリスにもフランスにもサル類はいない.身近にサルがいるという日本の利点は,野外研究だけでなく,実験研究にも生かされたといえる. こうした2つの研究領域が,互いの違いを乗り越えて協力し,人間を含めた動物群である「霊長類」の研究を推進した.それが実際に京都大学霊長類研究所という姿で実をむすぶにあたって,じつは理論物理学の二人の泰斗とのご縁がある.本年(2006年)は,湯川秀樹さんと朝永振一郎さんという二人のノーベル賞学者の生誕百年記念の年である.ともに京都大学のご出身で,父君もそろって京大教授なのだが,霊長類研究所とのご縁についてはほとんど知られていないので,ここに改めて経緯を書き留めたい. 昭和24年(1949)年,湯川秀樹博士がノーベル賞を受賞した.戦後わずかに4年である.長く続いた戦争と,敗戦という結果によって,当時の日本は疲弊していた.この受賞の知らせがどれだけ国民を勇気づけたか,想像にあまりある. 京都大学は,その受賞を契機に「湯川記念館」を設立した.理論物理学の国際的な交流の拠点として構想されたものである.それをもとに当時の文部省が,「全国共同利用」と「附置研究所」いう新しい研究の推進形態を作った. 「全国共同利用」とは,個々の大学という枠を超えて,ほかの研究機関に所属する全国の研究者が利用できる,共同研究の施設である.その一方で,「附置」するということは,その研究の推進拠点となるべき大学を国が指定して,当該の研究所を設置することをいう.全国のだれでもが利用できる研究施設だが,歴史や実績をもとに特定の大学に責任をもたせるしくみだ. 最初の全国共同利用の附置研究所として,「基礎物理学研究所」が昭和28年(1953年)に京都大学に附置され,湯川さんが所長になった.「素粒子論とその他の基礎物理学に関する研究」を目的とした研究所である. 現在(平成18年4月1日時点で),全国の10大学に合計20の全国共同利用の附置研究所がある.霊長類研究所もそのひとつだ.こうして湯川さんのノーベル賞受賞が契機となって,清新な理念と発想をもった研究体制が行政によって整備され,さまざまな研究分野で全国の研究者の共同研究が推進された.1) 拠点となる大学の固有性を生かしつつ,2) 全国的なレベルで共同研究をおこない,3) ひいては国際的交流の拠点となる.これらの特徴をもつ全国共同利用の附置研究所は,戦後のわが国の科学技術の進展,とくにユニークな研究領域の確立と推進に大きく貢献したと言えるだろう. 朝永振一郎博士は,霊長類研究所の設立そのものにさらに深く関与している.昭和39年(1964年)5月13日付けで,当時の日本学術会議の会長である朝永振一郎(副会長は桑原武夫・京大教授)から,ときの内閣総理大臣・池田勇人に対して,「霊長類研究所(仮称)の設立について」という「勧告」がおこなわれた.主文はわずか1行半である. 「霊長類研究の重要性に鑑み,その基礎的な研究をおこなう総合的な研究所(霊長類研究所,仮称)を速やかに設立されたい」. 霊長類の研究は人類の起源の解明必須だ,というのがその理由である.勧告文には,別途,詳細な記述が付帯している.設置すべき研究部門等の計画書をみると,今日の霊長類研究所の姿を明確に規定していることがわかる.この日本学術会議総会の議決を踏まえた「勧告」からちょうど3年後の昭和42年(1967年)6月1日に,京都大学霊長類研究所が全国共同利用の附置研究所として発足した(初代所長,近藤四郎).霊長類研究所は,来年で創立40周年を迎える. こうして,霊長類の野外研究や実験研究といった研究分野を超えた,広い学問的視野からの要請と支援があって,霊長類研究所は設立された.設立勧告の言うとおり,今後とも「霊長類の基礎的な研究をおこなう総合的な研究所」として,人間を含めた霊長類の研究をさらに推進したい.霊長類学は,一般に「サル学」と呼ばれることがあるが,そうした呼称は的確ではないだろう.そもそも霊長類とは人間を含めた動物群であるし,霊長類学はすぐれて人間の学である.「人間とは何か」「人間はどこから来たのか」,そうした問いに答える学問が霊長類学である.人間の体が進化の産物であるのと同様に,人間の心や親子関係や社会も進化の産物である.人間ならびに人間性の進化的起源を考えるとき,現生あるいは化石となった霊長類の研究はきわめて重要だろう. 先人の努力を継承しつつ,一般の方々のさらに深いご理解とご支援を得て,人間を含めた霊長類の総合的研究をさらに推進したい.そのためには,まず,安全で安心して研究に取り組める環境をさらに整えていく必要があると認識している. このページの問い合わせ先:京都大学霊長類研究所 自己点検評価委員会 |