研究こぼれ話 『棄てられたサル』ことのはじまりは改築を頼まれた大工さんでした。岩手県盛岡市で、借家人が退去した空き家の廃棄物に動物の骨(頭蓋骨)があるのをその大工さんが見つけました。この話が中村民彦さん(京都大学霊長類研究所共同利用研究員)に伝わりました。中村さんが『厩猿』(うまやざる)を研究していることは前回紹介しました(研究こぼれ話『岡山県の厩猿(うまやざる)探し』)。『厩猿』とは牛馬と結びついた信仰で、畜舎にサルの頭蓋骨や手を祀る風習です。盛岡で見つかった頭蓋骨の周りに畜舎はありませんでしたが『厩猿』を想像させました。しかし中村さんが尋ねたところ、不思議なことに家を借りた人も貸した人もこの骨については何も知らず、なぜ棄てられたかもわかりませんでした。 中村さんは大工さんから譲り受けた骨を霊長類研究所に持ってきてくれました。歯からオスの若いオトナのニホンザルだとわかりました。上あごの切歯だけがとても摩耗しているのが目につきました(写真を参照)。東北地方で『厩猿』を見た経験から、こういう切歯の摩耗は、積雪の多い地域でサルが冬に樹の皮を食べることに関係するのではないかと思うようになりました。特に、北上山地(岩手県)で見た『厩猿』の摩耗が印象に残っています。
棄てられたサルが北上山地と関係するか、遺伝子を分析することにしました。歯を一本抜き、歯根を削って骨粉にしました。歯からDNAを調べるには、はじめに脱灰と呼ぶカルシウムを除く作業が必要です。エチレンジアミン四酢酸(通称 EDTA)の溶液で三昼夜ほどすすいで、脱灰しました。どれくらいDNAが回収できるかは、骨の保存状態や時間でちがいます。少量でもまともなDNAが抽出できれば、チューブに入れて増やすことにより分析ができます。しかし、もとになるDNAが壊れていたり、異物が多いと、まともな答は出ません。生きているサルにくらべると、お骨になったサルの分析には神経を使います。 幸い盛岡のサルからはDNAが抽出できました。それを鋳型に増幅反応も成功しました。これまでの野外調査から、ミトコンドリアDNA(母から子に遺伝する性質があります)では各地のニホンザルがちがった遺伝子タイプを示すのがわかっています(川本芳「遺伝的多様性と地理的分化」,『日本の哺乳類学第2巻 中大型哺乳類・霊長類』第8章,東京大学出版会, 2008)。東北地方では、岩手県のサルだけがよそとちがう独特のDNA配列をもっています。しかし、現在の生息地をみると岩手県といってもサルが生き残っているのは南部の大船渡に近い五葉山周辺だけです。長年にわたり森林総合研究所の大井徹さんが五葉山でサルを調べています(大井徹「絶滅への階梯:岩手県五葉山」,『ニホンザルの自然誌』第2章,東海大学出版会,2002)。大井さんによると、最近少し拡大傾向にあるようですが、北上山地ではここだけにサルが残り、奥羽山地から孤立した積雪地に100頭前後のサルがいるだけのようです。
DNA分析から、盛岡でみつかった頭蓋骨の主(ぬし)は五葉山のサルに似た遺伝子をもつことがわかりました。しかし、このサルのDNA配列は五葉山と完全に一致せず、生きているサルではこれまで見つかっていない遺伝子タイプでした。五葉山を除けば、盛岡周辺で現在も野生の群れがいるのは白神山地(秋田県と青森県)、津軽半島(青森県)、下北半島(青森県)に限られます。そして、これらの地域では五葉山とちがう遺伝子タイプが見つかっていて、盛岡のサルにつながりません。他に隠れ里があって同じタイプをもつサルがそこにいない限り、答はひとつしか考えられません。それは、盛岡で棄てられたサルが絶滅地から来たということです。そしてその場所は遺伝子の類似から推論して五葉山に近いところ、つまり奥羽山地ではなく北上山地の絶滅地が考えやすいと思います。 棄てられた頭蓋骨が本当に『厩猿』で、誰かに祀られていたかは、さらに口承をたどって確認するしかありません。中村さんは関係者を探してこの経緯を探ろうとしています。わたしは、他所に残る『厩猿』の遺伝子分析を進め、発見した配列と同じ遺伝子をもつサルを探して推論を検証したいと思っています。 『厩猿』は口をきいてくれませんが、絶滅の問題を通じてニホンザルの歴史、わたしたちの祖先とサルの関わりを教えてくれるように思います。 文責 川本 芳 2008.7.28. |