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■ 研究論文の紹介
Descent of the hyoid in chimpanzees: evolution of facial flattening and speech
Takeshi Nishimura, Akichika Mikami, Juri Suzuki & Tetsuro Matsuzawa
Journal of Human Evolution 51(3), 244-254 (2006)
チンパンジーにおける舌骨の下降: 顔面の平坦化と話しことばの進化
西村剛*・三上章允†・鈴木樹理†・松沢哲郎†
*京都大学大学院理学研究科動物学教室自然人類学研究室
†京都大学霊長類研究所私たちは、2000年に相次いで生まれた3個体のチンパンジー(アユム、クレオ、パル)を対象に、それぞれ生後4ヶ月齢から、磁気共鳴画像法(MRI)を用いて定期的にそれぞれの頭頚部の断層画像を撮像してきました。それら画像データを用いて、チンパンジーの声道形状(咽頭腔と口腔)の発達変化を分析してきました。声道の形状により、出せる声の種類や速さなどが異なります。ヒトでは、生後まもなくから9歳ころにかけて、喉頭(声帯;のどぼとけのあるあたり)の位置が首に沿って下がり、のどの奥の空間(咽頭腔)が広くなります。一方、ヒトでは、他の霊長類と異なり顔面の吻があまり伸びず、口腔もあまり伸びません。これらの発達変化により、ヒトのオトナは、一息の短い間でも複数の音素を連続的にすばやく発することができるような声道(二共鳴管構造)をもっています。従来、ヒト系統で、これら二つの発達変化があらわれ、話しことばが進化したと考えられてきました。私たちは、すでに、2歳までの分析結果を米科学アカデミー紀要(PNAS, 2003)に報告しています。そこでは、チンパンジーの乳幼児でも、ヒトでみられる喉頭下降現象の一部がみられることを明らかにしましたが、喉頭下降現象はヒト系統で完成したと結論しました。今回の報告は、その後5歳までの経過を分析した結果です。予想に反して、チンパンジーは、幼児期以降、ヒトとほとんど同様の喉頭下降現象を経て、咽頭腔がヒト並みに長く発達することが分かりました。つまり、喉頭下降現象は、少なくともヒトとチンパンジーの共通祖先ではすでに進化していたと示唆されます。一方、口腔の伸長は、乳児期ではヒトとチンパンジーで同様ですが、ヒトでは幼児期以降にその伸長が鈍化するのに対して、チンパンジーでは幼児期以降も伸長が持続し、長い吻が発達します。これらの結果から、ヒトの話しことばを可能にする声道形状は、ヒトとチンパンジー系統が分岐する以前に喉頭下降現象により咽頭腔形態が完成し、その後、ヒト系統で顔面形態の平坦化によってもう一方の口腔形態が完成して、進化したと考えられます。ヒトの言語は、きわめて特異な特徴なので、それに関わる生物学的基盤はヒト系統で一つのパッケージとして突然現れたように考えられがちです。しかし、本報告でみられるように、個々の基盤は長い霊長類、哺乳類の進化の中で、言語とは全く関係のない適応としてモザイク的に進化し、それらがヒト系統で二次的に言語(話しことばを含む)の基盤として機能するようになったのでしょう。この進化モデルは、言語の起源や進化に関する今後の研究における、ヒトと他の動物との比較研究の重要性を示しています。