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■ 研究論文の紹介
Soprano singing in gibbons.
Hiroki Koda, Takeshi Nishimura, Isao T. Tokuda, Chisako Oyakawa, Toshikuni Nihonmatsu & Nobuo Masataka
American Journal of Physical Anthropology 149: 347-355 (2012)
テナガザルのソプラノ歌唱
香田啓貴*・西村剛*・徳田功†・親川千紗子‡・二本松俊邦§・正高信男*
*京都大学霊長類研究所
†立命館大学理工学部
‡東北大学大学院農学研究科
§福知山市動物園
テナガザルは、東南アジアのうっそうとした熱帯雨林の樹冠に生息している類人猿(ヒト上科のサル類)で、チンパンジーやゴリラ、オランウータンなどの大型類人猿に対して、小型類人猿とよばれます。ひじょうに大きく澄んだ声で、朗々と歌う「ソング」という音声コミュニケーションをすることで有名です。そのソングは、視界の効かない樹冠でも2KM以上も遠くまで聞こえるもので、霊長類の多様な音声の中でもかなり独特です。 一方、私たちヒトの音声も、声は小さいものの、すばやくアイウエオなどの音の種類を変えている点でひじょうに独特です。ヒトの音声は、喉にある声帯を呼気で振動させてつくる音源により、声帯のある声門から唇に至る空洞である声道内の空気が共鳴して作られます。この音源と共鳴を独立に変えられる仕組みを音源-フィルター理論といい、ヒトの音声言語の成立に欠かせない基盤の一つです。音声言語は、その基盤のうえに、喉や舌などの音声器官の形態やその運動の仕組みに大きな進化的変更があって成立したと考えられてきました。
ソングを作り出すために、テナガザルにはどんな進化があったのでしょうか。たとえば、南米のホエザルは、喉の器官形態を大きく変えて、森じゅうに響き渡る大きな声を作り出せるようになっています。しかし、テナガザルにはそのような器官の形態進化が見られません。一方、大きく澄んだ音を出す管楽器は、ヒトとは全く違った仕組みで音を作り出しており、そのような仕組みがテナガザルにも備わっているのかもしれません。
我々は、福知山市ならびに福知山市動物園の全面的な協力のもと、シロテテナガザルの福ちゃん(メス、当時2歳9ヶ月齢)にヘリウムガスを吸ってもらい、その音声を分析しました。ヘリウムガスを吸うと、われわれヒトでは、声帯での声の高さは変えていないにもかかわらず、声道の共鳴が変化して、高く変な声になったように聞こえます。シロテテナガザルにも同様の音声変化がありました。これは、ヒトと同様に音源-フィルター理論による仕組みの存在を示しており、管楽器などでは起こらない事象です。さらに、音声生成の数理モデルを利用して詳細に分析したところ、テナガザルは、声帯で高い音源を作り出し、それを声道の一番共鳴しやすい高さに合わせていることが分かりました。これは、ヒトのソプラノ歌手が歌うときの仕組みと同様です。 このように、ヒトを含む霊長類の多様な音声は、必ずしも音声器官の形態や音声を作り出す仕組みの独自の変化を必要としないことが明らかになりました。ソプラノ歌唱は、ホール全体に響き渡る美しい歌声で観客を魅了しますが、その仕組みから、アイウエオといった音素を判別することが難しい声です。テナガザルは、見通しが悪い熱帯雨林で遠くにいる同種個体に自らの存在を伝えるべく、ヒトでもできるソプラノ歌唱をするようになったのでしょう。一方、ヒトは、顔を突き合わせる位の距離で、音素がはっきり聞き取れ、かつすばやく変化する声を作り、そこに言語の意味を載せる音声を作り出すようになったと考えられます。そのような生態環境の変化や社会構造の進化に対応した音声の多様性を進化させるには、音声器官の形態進化や運動進化といった大掛かりな進化ではなく、共通の基盤をどう使うかという運用がより重要な貢献をしていることを示しました。本研究の実施にあたり、福知山市ならびに福知山市動物園の協力と、有限会社でんじろうサイエンスプロダクションより助言を得ました。 本研究は、科学研究費補助金若手研究Start-Up20870025、A 24687030(研究代表者 西村剛)、基盤研究B20560352、C23560446(研究代表者 徳田功)、基盤研究B20405016(研究代表者 平井啓久)、文部科学省グローパルCOEプログラムA06「生物の多様性と進化研究のための拠点形成-ゲノムから生態系まで」(事業推進代表者 阿形清和)より資金的支援を受け、実施されました。
◆本論文の内容は、Naturte NewsBBC、AAASユーレックアラート、京都新聞等で報道されました。また、欧米メディアでは大きく報道されました。