■ 研究論文の紹介

Developmental changes in the shape of the supralaryngeal vocal tract in chimpanzees

Takeshi Nishimura

American Journal of Physical Anthropology 106(2), 193-204 (2005)


チンパンジーにおける上喉頭声道形状の成長変化

西村剛

京都大学霊長類研究所

ヒトの話しことばま音声は、喉頭にある声帯で空気の振動を作り、それを喉頭から唇に至る(上喉頭)声道空間で共鳴させて作られます。(母)音の種類は、この声道の形状によって決まります。ヒトは、他の哺乳類とは異なり、この声道形状をすばやく巧みに変化させることができるので、話しことばによるスムーズな会話ができます。ヒトでは、生後まもなくから9歳ころにかけて、喉頭(声帯;のどぼとけのあるあたり)の位置が首に沿って下がり、のどの奥の空間(咽頭腔)が広くなります。この喉頭下降現象により、そのようなすばやい運動ができるようになり、話しことばが発達します。本研究では、周産期胎児からオトナまでのチンパンジー液浸標本(京都大学霊長類研究所と東北大学歯学部所蔵)を、磁気共鳴画像法(MRI)でスキャンして、その頭頚部の断層画像を撮像し、声道形状の成長変化を分析しました。分析の結果、チンパンジーでも、乳幼児期にはヒトの乳幼児期にみられるのと同程度の喉頭下降が起こっていることを示しました。これは、先のNishimuraら(PNAS, 2003)の研究成果を支持します。しかし、幼児期以降では、チンパンジーではヒトに比べて喉頭下降の程度が弱くなります。これは、先の我々の研究で示されたように、チンパンジーではヒトにみられる喉頭下降現象の一部(舌骨の下降)が欠けているためと考えられます。一方、口腔の長さは、ヒトではその伸びが鈍化するのに対して、チンパンジーではどんどん伸びていきます。これら幼児期以降の成長変化の差異により、チンパンジーはヒトのような話しことばの音声を作り出す能力が発達しないと考えられます。これら二つの成長変化の違いは、顔や顎の発達の違いが影響していると考えています。つまり、ヒト系統では、顔面が平たくなり、顎が華奢になります。そのような進化は、食べ物の種類やその食べ方(調理)の変化と関連があるのかもしれません。このような本研究の成果により、話しことばは、もともと話しことばとはまったく関係ない適応進化の副産物として進化してきた可能性がでてきました。話しことばや言語の進化史の解明を目指す多くの研究には、これまでと異なる新しい視点が必要なのかもしれません