孤立個体群における
人獣共通感染症のリスクアセスメントとサーベイランス


 研究計画

 野生の霊長類集団が生息する森林地域は、伐採や資源開発、戦争など近年の社会・経済的変化などによってヒトが踏み入る機会が格段に増加し、もはや霊長類にとっての聖域ではなくなりつつある。これに伴い、ヒトがその森林にとっては新規の病原微生物を持ち込むといった事態が生じている。こうした微生物に感作されていない、いわゆるナイーブな野生霊長類は極めて感受性が高いことが多く、事実近年に野生霊長類で報告される感染症のアウトブレークは、彼等と接触したヒトに由来する病原体によって引き起こされたと判断されるケースが大部分である。なかでもインフルエンザや麻疹などの呼吸器感染症や寄生虫感染症が小規模霊長類群の存亡をも脅かすほどの深刻な影響を与えている。

具体例として、長期観察がおこなわれている複数の調査地で、ヒト由来の病原体が原因であると考えられる呼吸器感症の流行によって多数のチンパンジーが死亡したという報告が挙げられる。たとえばコートジボアールのタイの森で2004年および2006年に流行した呼吸器疾患では、2種類のパラミクソウイルス(human respiratory syncytial virus (HRSV) およびヒトメタニューモウイルス(HMPV))が原因であることが明らかになった。これはウイルスがヒトから野生類人猿へと感染した最初の直接的な証拠となる報告であった。また世界的に大流行を迎えつつある新型インフルエンザは、最近の報告により季節性インフルエンザと比較し霊長類に高い病原性を有することが明らかにされ、野生霊長類に及ぼす影響は計り知れないものと危惧されている。さらに今なお自然宿主の特定がなされていないエボラ出血熱の流行により、中央アフリカ共和国のゴリラの90パーセント以上が死亡するなど、衝撃的な例も報告されている。

こうした人獣共通感染症による絶滅のリスクから野生霊長類群を保護するためには、もはや自然の復元力に期待するといった消極的施策ではなく、具体的エビデンスに基づく感染拡大防止や早期封じ込めといった積極的な対策を施すことが急務と考えられる。こうした状況を踏まえ、本研究では、野生霊長類集団におけるインフルエンザ等人獣共通感染症の感染流行状況を把握するためのサーベイランスを実施し、その知見を基にそれぞれの野生霊長類生息域に応じたリスクアセスメントを行なう。

ヒトにおける各種感染症のサーベイランスを行なう際には、患者由来のサンプル(咽頭ぬぐい液、痰、唾液、血液等)からの病原微生物の分離同定もしくはPCRによるゲノム増幅ならびに特異抗体の検出が確定検査として一般的である。しかし野生霊長類、特に類人猿の場合、通常こうしたサンプル採取は難しく主として採取可能な試料は糞便に限定される。そこで本研究では、国内外の野生霊長類について、糞で検出可能な粘膜型抗体であるIgAを測定することにより各種病原微生物に対する特異抗体保有状況をスクリーニングする。これによりインフルエンザをはじめとする人獣共通感染症の各生息地ごとの感染流行状況を把握する。また感染症が疑われる臨床症状を呈している個体については、PCRにより糞便中の病原微生物ゲノム検出を行ない、原因病原体を特定する。これらの知見を基に、それぞれの野生霊長類生息域に応じたリスクアセスメントを行なう。なお野生霊長類の感染症予防・拡大阻止に当たっては、マックスプランク研究所を始めとした国内外のさまざまな調査チームと共同でリスクアセスメントを行ない、実施可能な具体的感染拡大防止ガイドラインを策定していく。



 
年次計画と方法

平成22年度
インフルエンザをはじめとする人獣共通感染症のモニタリングシステムを確立する。現地で採取できるサンプルは糞に限られるが、既存の検出系は血液を利用するものが多い。そこで、先ず国内の施設(京大霊長研、チンパンジーサンクチュアリ宇土、林原類人猿研究センター、日本モンキーセンター)で飼育されているチンパンジーを主とした霊長類を対象として、糞におけるIgA型特異抗体測定系を確立するとともに、血中のIgG, A型抗体価と比較検討する。また糞便中からの病原微生物のゲノム検出システムを確立する。具体的には、病原体として国内でもヒトに流行が見られるインフルエンザ、麻疹および寄生虫(特に消化管寄生虫)を対象とする。

小規模霊長類個体群が生息する調査地(チンパンジー:マハレ、カリンズ、ボッソウ、ボノボ:ワンバ、オランウータン:ダナンバレー)にて、各個体の健康モニタリングと定期的な糞便サンプルの収集を行う。

平成23年度 
前年度に引き続き、小規模霊長類個体群が生息する調査地にて、各個体の健康モニタリングと定期的な糞サンプルの収集を行うとともに、野生霊長類群と接触する可能性のある地域住民や研究者を対象に聞き取り調査などを行なう。
前年度に確立された糞便による抗体・ゲノム検出系を用いて、国内外より収集された野生個体のサンプルを分析し、各生息域における感染流行状況のサーベイランスを行なう。
これらの情報から感染流行状況を推定し、それぞれの野生霊長類生息域に応じたリスクアセスメントを行なう。


平成24年度 
前年度に引き続き、各生息域における感染流行状況のサーベイランスを行なう。
マックスプランク研究所を始めとした国内外のさまざまな調査チームと共同でそれぞれの野生霊長類生息域に応じたリスクアセスメントを行ない、実施可能な具体的感染拡大防止ガイドラインを策定し、試行的に実施する。




トップページへ