ヒト以外の霊長類はすべて赤道から中緯度の地域、すなわち人口密度の高いところにいる。そのため、ヒトとそれ以外の霊長類は共存することを余儀なくされ、農地の拡大や森林伐採等によって生息地が「分断化」され、「孤立化」している。
20年後の世界における霊長類個体群の存続を保証しようと考えた場合、大面積の自然林とそこに住む霊長類を保護するということでは、もはや対応できない。このような分断された個体群をいかに守り、いかに次世代に伝えるかが、霊長類を次世代にまで残そうとする場合の最重要課題となっており、IUCN(国際自然保護連盟)、WWF(世界自然保護基金)、WCS(野生生物保護協会)等の主催する霊長類の保護に関する国際的な会議でも、しばしば取り上げられている。
 
 日本でヒトと入り乱れて生息しているニホンザル、森林伐採の進む東南アジアにすみ、数十年以内の絶滅が危惧されているオランウータンなどの霊長類、南アジアの人口急増地帯にあって都市の中に取り残されるように生息するバングラデシュやスリランカのマカク類、開発が進むアフリカの高人口密度地域に取り残された森林ブロックに生息するチンパンジーをはじめとする霊長類。これらの持続的な生存には、さまざまな難題がある。まず地域個体群の個体数が減少すると、近親交配係数の上昇によって、遺伝的な存続がむずかしくなる。この問題を解決するには、存続可能な最小の地域個体群のサイズに関する科学的基礎研究が重要となる。また、とりわけ人間に似た遺伝子構成をもつ霊長類では、他の動物群と違って、「人獣共通感染症」のアウトブレークが地域個体群の存続に大きな脅威となる。これまでも、ポリオ、エボラ出血熱、インフルエンザ様の呼吸器疾患等の流行によって個体群に致命的な打撃が与えられており、病原体や伝染経路について、周辺住民を含めた疫学的な調査が必須だ。さらに、各地で進行している地域個体群の分断化についての実態調査や、害獣としての駆除、食用のハンティングなど人間活動に起因するさまざまな脅威についての調査や、各種の脅威を取り除く方法や劣化した生息地を保存・回復する方法についての実践的研究も欠かせない。これには、生態学的研究だけでなく、地域住民との関係についての社会学的研究も必要になるだろう。以上のような研究を、これまで日本人研究者が深く関わってきたアフリカ、アジア、日本のフィールドで実施し、各地における分断化した個体群の保護管理計画に結びつけたい。

  本研究課題の参画者の何名かは、平成1820年度に同研究費の支援をうけて実施した研究課題「大型類人猿の絶滅回避のための自然・社会環境に関する研究(課題番号 F061)」に参加した。この研究では、アジア・アフリカの大小さまざまな類人猿個体群を対象として扱い、その研究成果は、ボトムアップ型の各地の類人猿の保護に直接活かされるとともに、IPS(国際霊長類学会)やIUCNWCS等の主催する国際ワークショップの場で、保護活動に関する新しい考え方や手法を提案するものとして注目を集めた。だがその過程で、危急の問題として問われているのは分断化された孤立個体群をいかにして存続させるかということだという認識を強くし、本研究課題の提案に至った。また、前課題では、保護活動が地域住民の生活に及ぼす影響の評価、コミュニティ・コンサベーション、エコツーリズム、植林による生息地回復の可能性など、保護にかかる人間活動の側面を重点的に研究したが、実際に保護計画のプラニングを進めるにあたって、地域個体群のサイズや歴史と存続可能性の関係、感染症の感染経路と予防法などについての科学的知識が不足していることを痛感した。本研究課題では、そういった点を重点的に研究し、世界各地の保護政策の現場に科学的根拠となる情報やそれを得るための研究手法をもたらすことを目指す。


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