京都大学霊長類研究所 共同利用研究会 「ニホンザルを考える」2009年6月6日(土)- 7日(日) 6月6日(土)
6月7日(日)
研究会世話人 川本芳、濱田穣、國松豊、毛利俊雄、渡邊邦夫、古市剛史、半谷吾郎、辻大和、田中洋之、杉浦秀樹 発表要旨 屋久島のサル ー 島嶼個体群という視点から 屋久島は、島嶼であるため面積は限られるものの、植生の垂直分布により多様な生息環境が見られる。屋久島のサルについては、社会生態学的な研究が多く蓄積され、好廣らによる分布調査の成果もある。発表者らは1999年から島内一円で採取した試料について、ミトコンドリアDNA(mtDNA)の第2可変域の多型解析とその島内分布を調べて、屋久島のサルがこの約一万年間に島内でどのような分布変遷過程を経てきたかを明らかにした。今回は、第2可変域にくわえて、mtDNAの第1可変域の分析結果と、オスY染色体のマイクロサテライト多型の分析結果を紹介する。分析は始まったばかりだが、mtDNA多型から群れの動き(メスの動き)とY染色体マイクロサテライト多型からオスの動きをあわせて解析することで、より詳細に群れの分布拡大や縮小の過程、オスの分散という現在の生態に関連する知見が得られる。また、保全の試みについても紹介したい。
中部山岳地域におけるニホンザル個体群 富山県東部の黒部川流域で、1978年〜1985年にかけて直接観察により群れの分布調査を実施した。宇奈月温泉(標高220m)から黒部川源流の鷲羽岳(2924m)に至る71kmの流域で31群の群れを記録した。1999年に完成した宇奈月ダムにより、この地域に生息していた3群の行動域がダムより下流側へ大きく移動した。そして、この3群が去った後のダム湖周辺には、上流から新しい群れが進出し定着した。黒部川の上流から下流に向かって複数の群れの行動域の移動と拡大が連鎖的に進行することが分かった。地域個体群の分布の拡大が、河川に沿って進行する事例を探るため、富山県を中心にして、中部山岳地域に生息する群れのミトコンドリアDNA変異を分析し比較した。検出された6つのハプロタイプは、河川流域ごとに同じタイプが連続的に分布する傾向が認められた。標高3000mの高山帯が連なる飛騨山脈北部の後立山連峰では、稜線を境に長野側と富山側で大きく異なる2つのタイプが分布しており、この山脈が個体群の分布拡大の大きな障壁になっていることが示唆された。
厩猿 −
日本人はニホンザルをどう見、どうつきあってきたか
− 厩猿という信仰・風俗は今消えかかっている。わずかにその形骸を各所に垣間見るだけである。ニホンザル(以下、サル)は牛馬のための「守り神」であった。その歴史は1000年におよぶと推定される。この長い歴史を牛馬の守り神として墨守しつづけてきた根拠はなんだったのか。ニホンザルとは日本人にとって何ものだったのか、これまでの厩猿に関する調査研究(トヨタ財団助成研究:川本芳代表)の報告をかねながらその一端をさぐる。Tは、厩猿の日本列島での分布の偏りと頭骨と手骨という違いを紹介する。Uは、厩猿の歴史:12世紀厩にサルを飼うのは一般的だったこと。現代の高校の教科書(鎌倉武士の館)にも出てくる厩猿の歴史を紹介する。Vは、なぜウマにサルだったのか?:これまで語られてきた諸説を紹介しそれぞれの特徴を検討する。W まとめとして、厩猿の二つの系譜:混群効果と頭骨信仰を考察・紹介する。
九州におけるニホンザルの左手と"河童の手"について サルの手を最初に見たのは1983年1月熊本県相良村でそれは人の安産用呪物であった。1979年広瀬は東北地方ではサルの左手で瓜の種を蒔くとよく生えると述べていた。1992年相良村北部の旧四浦村全戸の訪問調査でサルの手について11件の言い伝えと5本のサルの手を見出した。その後隣村の五木村で訪問調査を、つぎに熊本県下全域でアンケート調査を行い、九州全域を視野に収めて調査を続けてきた。
伊豆大島のタイワンザルの生息状況および捕獲状況について 東京都伊豆大島には1939年から1945年にかけて島内の動物園から逸走し野生化したサルが生息しており、現在、島の中央を除くほぼ全域に群れが分布している。2006年度には東京都による島内全域での生息実態調査が行われ、2008年度からは東京都大島町による生息実態調査および根絶に向けた捕獲計画が進められている。
ニホンザルと外来種の交雑問題の現状と課題 平成11年度、和歌山県は県北部に野生化しているタイワンザルの調査を実施し、2群、合計約200頭を確認した。その後も平成15年度には4群、合計300頭近くに達したが、平成13年度末から開始した捕獲によってこれまでに352頭を除去し、平成20年度末時点で3群、合計で推定19?27頭に減少している。このうちニホンザルと避妊メスを除くと残数は10?18頭で全頭捕獲が視野に入って来たが、残存個体は警戒心が強く捕獲効率が大幅に低下しているため、また残数調査の精度向上の課題もあり、今後、より一層の努力と工夫が必要である。
外来種の遺伝的モニタリング 外来生物法施行前後からニホンザルと外来種の交雑につき遺伝標識を利用したモニタリングを行っている。関係者の協力を得て、定着、交雑の発生・進行・拡散の遺伝学調査から、人為導入起源の外来種の群れとニホンザルの種間交雑の実態が明らかになった。和歌山県では外来種群へのニホンザル移入による交雑の発生機構が推定でき、交雑度の上昇に伴う個体群の遺伝子構成変化や形態変化との関係も明らかになってきた。千葉県では和歌山県で認めた交雑機構の追加検証のほか、ニホンザル地域での拡散や交雑状況を遺伝的にモニタリングしている。この事業では、地元研究機関かずさDNA研究所が交雑度判定を高精度化する新しい遺伝標識を開発し、オスの拡散につき私たちが種を超えた個体判別の新しい検査法を開発し応用している。これら研究成果や現状の紹介とともに、根絶を目標とする行政事業の展望と、外来種対策の基本指針に関する今後の問題を議論したい。
兵庫県の管理体制と現況 兵庫県に生息しているニホンザルは分布情報から6つの地域個体群(美方、城崎、篠山、神河、南光、淡路)に分けられている。生息地間の距離が最も近い篠山、神河個体群間でも約40km分布距離が離れており、分断と孤立化が顕在化している。分布および頭数情報から6つの地域個体群は絶滅が危惧されている。しかし、兵庫県内に生息するニホンザル全群が農作物に被害を出していて、有害駆除による捕殺が続けられている。有害駆除の権限は市町村にあり、管理の難しさがある。兵庫県では、全群に電波発信機を装着し、行動圏、頭数をモニタリングしている。また、性年齢構成から群れの絶滅予測を実施している。遺伝子の調査では、ミトコンドリアDNAで複数のハプロタイプを検出している。まだ、被害は押さえられていないが、少しずつ被害管理の取り組みが進められている。
ニホンザル農作物加害群の遊動パターン ニホンザルの保護管理、とくに効果的な被害管理・生息地管理を考えていく上では、群れの土地利用や遊動パターンの解明が重要な情報となりうる。人為的環境を含む地域に生息する群れに着目すると、彼らはこれまで自然群で報告されてきた食物条件や物理学的だけではなく、人為的要因にも影響されて遊動していると考えられる。ここでは農作物被害を起こす野生ニホンザル群を対象に、生物学的要因として食物条件、物理学的要因として気温と斜面の方角、人為的要因として集落ごとの追い払い程度の量的な変動を明らかにし、それぞれの要因の遊動パターンに与える影響を季節ごとに評価する。そしてその相対的な重要度を明らかにすることによって、被害管理・生息地管理につながる情報を抽出し、今後の群れ管理のあり方について考える。
下北半島のニホンザル 『過去・現在・未来』 はじめに過去から現在までの経緯について紹介する。サルの個体数、群れ数は年々増加し、生息分布域は拡大している。国や県による猿害への取組み、被害状況と対策の歴史、住民意識の変化(アンケート調査結果)を紹介し、下北における人とサルの関係の歴史について説明する。
ニホンザル保護管理の課題と特定計画のガイドライン ニホンザルの分布域は、1960年前後に最も縮小したと考えられるが、その後は拡大を続けている。これは明らかに個体群の増加を示すものであり、群れの耕作地への進出と人慣れという現象を伴っている。そのため、1960年代には限定的であったニホンザル被害は、今や全国的、普遍的な問題に拡大した。
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