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僕が植物に興味を示しているのを見た冠地さんは、桜島に行くとき幸島の植物リストの冊子をくれた。冠地さん、ありがとうございます。
桜島へ
奥さんのミドリさんは僕と同じ高校(神奈川県立鎌倉高校)の出身だということが分かった。トーマス氏は彼らのことが非常に気にいっていた。
ミドリさんの頭の上にあるのはカニの甲羅
冠地さんの運転で、桜島へ。2時半「たぎり荘」を出発。桜島のちかくに来ると、火山や火砕流の跡が見える。冠地さんから聞いた桜島の火山の歴史や説明を、トーマス氏に通訳した。トーマス氏は火山活動によって作り出される興味深い光景を楽しんでいたと思う。標高1500mもある桜島は美しかった。
トーマス氏は、僕が朝渡したスケジュールを読んで、「最終日、朝の便で屋久島を出ることになっているが、そんなに早く出発する必要があるのか?大阪のホテルに長く滞在するなら、屋久島に滞在したい」とおっしゃった。車内で航空会社に電話して、予約を変更する。予約先の空席は残り2席。幸運であった。
桜島到着、キバレへの道は厳しいか
夕暮れ午後5時30分ごろ、ホテル「レインボー桜島」に到着した。
この宿舎は鹿児島行きフェリー乗り場から歩いて15分ほどのところにある。
トーマス氏は、座ってばかりで背中が痛いとおっしゃるので、2人で夕食まで散歩に出ることにした。フェリー乗り場まで行って、次の日の出発時刻を確認する。
その後、大正溶岩地帯という溶岩跡の上に付けられた「なぎさ遊歩道」の上を歩く。
夕日の照り返しで暑い。散歩しながら、トーマス氏にキバレに行って自分も研究してみたい、と伝えてみた。
後藤「来年の夏休み、キバレに行って研究してみたいのですが。」
トーマス氏「お金はあるのか?」
後藤「どれぐらいかかるのでしょうか?」
トーマス氏「チケットと向こうでの生活費、合わせて100万ぐらい欲しい。」
後藤「う〜ん、難しいですね。お金はバイトで何とかするとして、キバレで研究する方法が何かありませんか?先生の話をうかがえば、うかがうほどキバレは自然の魅力に恵まれた素晴らしいところのようです。自分も行ってみたい」
トーマス氏「何の研究がやりたいのか?」
後藤「植物が好きなので、植物とチンパンジーの研究がやりたいのです」
トーマス氏「植物というと?」
後藤「チンパンジーによる果実の種子散布とか薬草について」
トーマス氏「それはすでにやられているよ。霊長類学者は、サルが食べる植物についての知識は植物学者並みにあるものだよ」
後藤「う〜ん、研究のことは正直よく分からないです。まだ実際研究もはじめていませんから」
トーマス氏「指導教官はいないのか? 君の研究が良いものか悪いものか分からないと、キバレに来る許可が出せないよ。研究所の部屋は余裕がないんだ。ボランティアで来るとかかなあ。それに私はすでに一線を退いてしまっているしなあ」
雲行きは怪しい。「研究」という言葉を出すべきではなかったと反省する。話がややこしくなるし、研究についてまだ素人でよくわからないからだ。しかし、お金の問題は苦しい。お金を出してもらえる方法を考えなくては。次のチャンスを待つことにして、夕食をとるためにホテルに帰った。とにかく行きたいという意志は伝えることができた。
夕食と温泉
夕食は前菜、デザートがついたきちんとしたディナーであった。
食事の話題で盛り上がった。
「アフリカではどんなものを食べているんですか?」と聞くと、「米とマメばかり」と答えた。アフリカではそれが普通なのか、それともトーマスの菜食主義者的なところから来るのかよく分からなかった。
「料理はするんですか?」と聞くと、「アフリカでは作ってくれる人がいるし、アメリカでは、妻が作ってくれる。妻は中華料理をよく作ってくれる。妻の料理は、店で食べるよりおいしいから、めったに外食しない。」とのことである。羨ましい。
芋焼酎の試飲をやっていたので、レストランの人に試飲用の焼酎「桜島」を持ってきてもらった。トーマス氏にとって、焼酎は珍しいはずだ。感想は、アルコールランプに使われているアルコールみたいとのこと。口から火がでるまねをしていた。焼酎は苦手なのか。これから、屋久島に行ったら、必ず屋久島名物の芋焼酎「三岳」がふるまわれるはずなのに残念である。
温泉に入って、汗を流し、一息。カナダ人に話しかけられた。大衆浴場の使い方のレクチャーをする。
色々な温泉を試してみたあと、フロントで明日のタクシーの予約をして、部屋に戻り、就寝。
桜島
5時45分起床。
6時30分、ホテルの前で予約しておいたタクシーに乗りフェリー乗り場へ。フェリー乗り場とホテルとは歩いて10分ぐらいであるが、荷物が大きいのでタクシーを利用した。
昼間、桜島から鹿児島港へは15分毎にフェリーが出ている。24時間船は運航されている。7時の便に乗って、20分で鹿児島港に到着。一人150円という安さは、多くの人に通勤に使われているおかげ? 到着して、左の方向へ。橋を渡り水族館の前を通り過ぎ、5分ほど歩くと、トッピーの乗り場へ。鹿児島港は、去年屋久島に行くとき利用して以来1年ぶり。懐かしい。カウンターで予約番号をいうと、席が指定された。トッピーに乗る場合は30分前までに券を買う必要がある。フェリーを待つ間、2Fの売店へ行って朝ごはんとなるパンとコーヒーを買った。トッピーに乗り込む。
今回は、時間の都合もあり、高速船ジェットフォイルのトッピーを使ったわけであるが、
昨年度は、倍時間のかかるフェリーで行った。もちろん、こっちの方が断然よい。遠ざかる景色(桜島や屋久島までの離島群)をゆっくり眺めたり、海面を跳ねるトビウオを見たり、海鳥を見たり、海の風を感じたりできるからだ。フェリーの中で、血液型占いをやっていて、一番ラッキーなのはB型。トーマス氏の血液型を聞くとなんと「B型」、それを伝えると「ワーオ!」と喜んでいた。雨模様の天気予報にもかかわらず、この旅で、雨にたたられなかったのは、「B型」のトーマスのおかげだったのか! 幸運を見つけるたびトーマス氏は「B is positive!」とご満悦の様子だった。
屋久島上陸10時05分屋久島宮之浦港に到着。予約していたタクシーに乗り込む。運転手と話して、今日の運賃を2万にしてもらう。車の免許を持っていれば、一番お得である。レンタカーは一日4000円だ。
途中のスーパーで、昼食を買う。
途中でヤクスギ自然館によるつもりだったが、火曜日は定休日であった。
タクシーの運転手の鎌田さんが気を利かせて、橋の上から峡谷を見せてくれたり、森の奥から、切り出された屋久杉を運び出すために利用されたトロッコの線路を見せてくれた。
1時間30分ほど車を走らせて、ヤクスギランドに到着する。11時45分屋久杉ランド到着。
屋久杉の森の中で〜屋久杉ランド〜2時間30分コースのトレイルを選ぶ。コースのところどころに屋久杉とその伐採の歴史が英語で書いてあるボードがあるので、助かった。屋久杉の森は屋久杉(1000歳以上の杉を屋久杉と呼ぶ。)だけでなく、それより若い杉やモミ、ツガの木も十分に大きい。荒川の河原に、昼食をとるのに最適な場所を教えてもらい、昼食をとる。
荒川の流れは清涼である
植物の名前や特徴は英語ながらうまく説明できたと思う。植物への自分の興味が今回トーマス氏に屋久杉の森を説明するのに役に立ったのが、うれしかった。英語や学名で植物の名前を覚えていて植物をガイドできる学部生など、そうおるまい。ボルネオの成果だ。2人で屋久杉の森を見ながら進んでいると、サルの鳴き声が遠くから聞こえる。
近くにサルがいるのかと思っていると、サルが出てきた!
あ、サルだ!これが今回の旅の野生のヤクザルとのファーストコンタクトである。しばらく、興奮が冷めやらなかった。サルたちは、太忠岳の方向に登って行った。僕たちもついその後を追いくたくなるが、僕たちの進む道は下る道だった。山に消えていくまでサルの姿を見送った。
トーマス氏は屋久杉の幹に豊かに繁茂する着生植物に驚くとともに、江戸時代切り出されたおおきな杉の切り株を見て、なぜこのように素晴らしい杉を切る気になるのか?と憤慨していた。ちなみにトーマス氏は「Pantheist」つまり「八百万の神を信じる人」だ。20年前までは、キリスト教徒だったという。欧米人には珍しいと思いながらも、様々な生き物に敬意を持って接するナチュラリストとしての彼の姿を見ていると、「Pantheist」であることは、彼にとってごく自然なことであるように思えた。
彼の父親は国立公園を設定することを仕事として、森林局に勤めていた。また、彼の兄は深海を専門とする海洋学者だという。保全生物学者としての下地は、彼の生育によるところが大きいのかもしれない。
2人で屋久杉の森を見上げる。屋久杉たちはまっすぐ空まで伸び、その幹からはヤマグルマ、ナナカマド、ヒノキ、ヤクシマシャクナゲ、ソヨゴ、ヒカゲツツジなどの植物がそれぞれ好きな所から生えている。まるで一本の木が色々な種類の葉をつけているようで、「この木は何の木であろうか?」と首を傾げてしまう。屋久杉自身の葉が見つかるのは、見上げた首が痛くなってくる頃だ。
この樹上の庭園を支えているのは、ヤクシマに「月に35日降る」と言われている雨である。年1000〜8000mm降る雨のおかげで、普通なら乾燥して植物の生えにくい高木の樹上にも植物が生えることが出きる
コラム(4)植物の呼び方
杉のことを「cedar」という。フロイデで、山極先生がトーマス氏との会話の中で「ヤクシダー」と繰り返し使っているから、何のことかと思っていたら、「屋久杉」のことであった。
桜島へ向かう車の中で、トーマス氏が「Kuzu」と連呼する。「何のことだろう?」と思って、細かく聞いてみると「Vine!(つる植物)」という。そこで、ハッと植物の「クズ」に思いがいたった。アメリカで帰化植物として、はびこって困るそうである。日本の植物が、アメリカで迷惑をかけていたとは。
ヤクシマで覚えていて役に立った植物名。
「ツツジ=Rhododendron(学名と同じ)」
「ナナカマド=Sorbus(学名と同じ)」
「アコウ、ガジュマルなどイチジク属の植物=Ficus(学名と同じ)」
「ツバキ=Camellia(一般名)」
「アジサイの仲間=Hydrangea(属名)」
「トウダイグサ科=Euphrobiaceae(学名)アカメガシワなど=Macaranga」
MacarangaやFicusなどはアフリカにもこの仲間は沢山生えているはずなので、安心して使えたが、学名が通じなくて焦ったのは東南アジアだけに分布のヤマグルマなどであった。ちなみにクスノキ科は科名も一般名もうまく通じなかった。
サルスベリは、それを表す英語がないので、日本語で「Monkey Slipping」と呼ぶ、と言っておいた。
屋久杉ランドで3時間30分過ごした後、屋久杉ランドを後にする。トーマス氏は、下りは膝を痛めると言いながらも、信じられないほどの健脚ぶりを発揮していた。
寿命3000歳、屋久島で、縄文杉についで2番目に古いといわれる「紀元杉」を見に行く。
後藤(20歳)トーマス(66歳)杉(3000歳)
タクシー運転手の鎌田さんの好意で更に高地にある、老齢ですごい杉を見に行った。鎌田さんは、屋久島出身の方で、土地のことにも、植物や動物にも非常に詳しい。
トーマス氏に「彼は運転手ではなく、一流のナチュラリストだ」と言わせしめた鎌田のおっちゃん。帰りは宮之浦を通って、海岸沿いの道を反時計回りに永田に行くつもりだったが、滝や西部林道も見に行くことにして、時計回りに永田に向かうことにした。
滝
僕は昨年、大川の滝に寄ったことがある。屋久島は大きな1つの岩であるため、その斜面の角度は、皆垂直に近く、本州では見られないような巨大な滝が沢山あるのだ。千尋の滝、大川の滝を見に行った。空には、雲が立ち込めて、夕立が降ってきた。空も暗くなる。
大川の滝。この傘は20年使っているもの。
帰り道車を走らせていると、すぐに雨が止んだ。屋久島ではよくあることだが、雨は局所的で、車を走らせて、その場所から逃げれば、晴れていることがある。7時ごろ、「屋久の子」に到着。
到着トーマス氏は夕食。
ここのバイトの大牟田智幸くん(高3)はアメリカの高校に留学していて、英語がうまい。
タートル・ウォッチング夜10時ごろ、海亀の産卵を見に行く。
ホテルの前の浜である永田の浜は日本で一番、多くの海亀が産卵に訪れる場所である。7月はじめのこの時期、平均で10頭以上の海亀が一晩にやってくる。ボランティアの人々が、日本中から集まって、海亀の産卵保護を助けるとともに、観光客の海亀観察のガイドをしてくれる。\700。保護に必要な資金を得るとともに、マナー無く浜に下りる人間が来るのを防ぐという目的がある。「屋久の子」にバイトに来ている大牟田君のお父さんが、ここのボランティアのリーダーである。トーマス氏は感動して、興奮しつつ、大牟田さんにたくさんの質問を投げかけていた。
海亀は光を嫌うので、海亀がやってきて産卵を始めたら、前からではなく後ろから、ライトで照らす。フラッシュを焚くと、これから浜に上がろうとする亀が帰ってしまうので厳禁。
そして、産卵の様子を観察し、前足にナンバーを取り付ける。卵を産み終わると、海亀は前足と後ろ足を交互に上手に使いながら、砂をかけ、きれいに平らにした後、海へ戻っていく。
近年屋久島に帰化し、個体数を増やしている「タヌキ」が問題になっている。海亀の卵を掘り返して食べてしまうらしい。
朝の砂浜には、海亀が帰って行くときにできた跡が筋になって残っているのを見ることができる。
大牟田さんがまとめた海亀の資料(およそ200ページ)を貰った。大牟田さん直筆の海亀のイラスト(精密かつ丁寧である)がのっている。
産卵の様子。卵も見える
亀の足跡
淀川
大牟田君のお母さんの運転で、淀川という永田に流れ込む川にバードウォッチングに行く。
淀川は、永田岳への入山口にもなっていて、「屋久の子」の鉄生さんなどの永田の人々が、毎年二回行う「岳参り」のスタート地点でもある。鳥は見られなかった。もっと朝早く行くべきだったか。
河原の岩を軽快に飛び越えていくトーマス氏を見て、「彼、年おいくつなんですか?」と大牟田君が目を丸くしていた。
待ち合わせ正午、宮之浦の「屋久島文化村センター」で、清野さんと待ち合わせする。宮之浦までは、大牟田君のお母さんに、送ってもらった。永田からは1時間ぐらい。
サル見昼食後、3人で西部林道にサルを見に行く。途中ステーションに寄った。
果樹園の電気柵を見学する。蔦が絡むことも多いそうである。そのため、すぐ使えなくなるし、電気代も馬鹿にならない。農家の方々はサル対策に皆苦心しておられる。畑を荒らしに来たサルが毎年400頭、猟銃で殺されるという。サルが豊富にいるというこの島の魅力。それが逆に、農家の人を苦しめているという事実がある。
夜鉄生さん、清野さんの2人を加え、夕食。
屋久島での保護活動や研究、「岳参りの復活」の話題で盛り上がった。
「岳参り」とは屋久島の各集落が伝統的に行っている山岳信仰である。それぞれの集落に近い山と一対一の関係があり、宮之浦は宮之浦岳に、永田は永田岳に年2回登る。2回目の登山では、感謝の念を山の神様に伝えにいくのだそうだ。鉄生さんは、近年、永田の「岳参り」を復活させ、毎年欠かさず行っているという。
鉄生さんが、「岳参り」を始めてから、若がえった気がするという話を聞いて、トーマス氏は、「自分が70近くなっても、元気でいられるのは、森の中を歩き、森に元気を分けてもらっているからである。それと同じではないか?」と共感を抱いていた。確かに、山やジャングルをフィールドにする研究者の方には、年齢のわりに若く見える人や、見た目で年齢が分からない人が多い。若く保つ秘訣はフィールドに出ることのようだ。疲れ果てて就寝。
サル見
今日は朝から屋久島でヤクザルの研究を行っている、清野未恵子さんに屋久島西部の「サルの群れを追う」という経験をさせてもらう。
清野さんは「ヤクザルの昆虫食」の研究をしている修士2回生の女性である。彼女を、特徴付けているのは、地下足袋である。急な斜面や沢といった歩行困難な地形を多彩に持つ屋久島西部で「サルを追う」には地下足袋が最適であるらしい。雨天時には、スパイクつき長靴を用い、スリップ防止を図る。
僕たちは早朝に出発する必要があった。ヤクザルを見つけやすいのは朝だからだ。サルは目覚めてすぐに採食し、採食時は移動しながら頻繁に鳴き交わしを行う。昼間は休憩時間に入ることが多いので、あまり鳴かず、探すのが困難になる。
鉄生さんに作ってもらった握り飯と焼き鮭を6時半に食べ、清野さんの運転で、永田から、西部林道へと向かう。心配だった天候はなんとかもってくれている。西部林道内に入ると、車はアコウをはじめとする亜熱帯樹林に両サイドが挟まれ、薄暗くなる。まもなく車道の脇にいるサルを発見。車を停める。
道をはずれ、5分ほど下ったところでサルの群れと遭遇。サルはヤマモモやアコウの葉をほおばったりしている。
トーマス氏と若き研究者清野さん僕はトーマス氏のカメラケースを肩からかけて、サル追跡の様子を眺めたり、サルが食べた葉を自分でも噛んだりしてみた。
ヤマモモの葉は癖がなく、味だけならサラダにしてもおかしくない。タンニンを多く含んだ葉を持つヒメユズリハの葉は、苦味があり、ボルネオの奥地で噛んだ紙タバコを思い出させた。食草を自分でも噛んでみるというのは、サルになったような、サルの気持ちに触れたような気がするから面白い。
大きなオスのサルが、朽木に生えているキノコをほおばっている姿は初見だった!トーマス氏もサルがキノコを食べている姿を、はじめて見るといっていた。
「ケーン」とサルとは違う高い鳴き声が響く。シカは、サルが落としたアコウなどの木の実を目当てにサルのいる木の下にやってくるのだ。屋久島では「サルの近くにシカがいる」のは一つの常識になっている。
サルを見送っていると、まもなく清野さんが来た。2つの群れを発見したらしい。
早めの昼食をとる。清野さんがおにぎりとサンドウィッチを作ってきてくれた。
サル追跡後半戦開始!僕たちは森の奥へと入る。大きな川の手前にさしかかった。清野さんは、先ほどはここで、サルの群れを発見したのだという。手に持ったトランシーバーから反応がある。
川の向こう側に、黄色の首輪を付けた一匹のサルを発見する。首輪は発信機になっていて、αメスに取り付けられている。サルの群れを見つけた。トーマス氏は、サルを撮影する。トーマス氏はすごく大胆にサルに近づいていくのに、サルは逃げない。トーマス氏は、長年の経験によってサルに警戒されないコツを身につけているのかも知れない。
トーマス氏はサルの個体の年齢や順位について熱心に清野さんに尋ねておられた。サルの群れを見るうえで重要な情報である。
野生ザルの育児拒否奇妙な光景を見た。群れとともに移動する母親ザルに、子ザルが「キーキー」と甲高く悲壮な鳴き声を上げて、追いかけている。母親ザルは助けに来るどころか、振り向きさえしない。ミルクを与える様子もない。母親としての責任を一切投げ捨ててしまったかのようだ。トーマス氏、清野さん、ともに初めて見る行動らしい。トーマス氏は大変気にしておられた。
母親ザルは、人に警戒心を全く払っていないので、そのため子ザルが人に怯えていても助けに行かないのだ、といった印象を受けた。
天気が悪くなってきた。この時期の屋久島は午後2時ごろから雨が降り出す。僕たちもそろそろ、自動車に戻らなくては。斜面を上りはじめる。
途中に屋久島一ではないかと思えるガジュマルの木を見つけた。
自動車にもどり、サル追跡体験終了。
フルーツガーデンに行き、屋久島特産のたんかんジュースを飲み、喉の渇きを癒す。
夕方5時過ぎ、永田の屋久の子に戻り、一息。
夕食地元の英語の先生たちとのパーティーへの出席は、トーマス氏の疲労のため、急遽キャンセル。
トーマス氏と「今日サルを追跡した中で何が一番印象深かったか?」という話になり、僕が「子ザルをほったらかしにする母ザル」というと、トーマス氏も意見が一致した。「何が原因か?」について、話しているとき、僕は「母ザルが人間に対して馴れすぎていて、子ザルに危険が迫っているとは考えないのでは?一時的なものでは?」と言ってみた。トーマス氏は、違う意見で「母ザルが狂ってしまって、子供の相手をしなくなったのだ。乳さえやらなかった。このままでは、あの子ザルはきっと死んでしまうだろう。」という。
この旅が終わってしばらくしてから、清野さんとのメールのやり取りの中で、子ザルはやがて姿を見せなくなったことを知った。育児放棄が原因で死んだのだろう。では育児放棄の原因はなんだったのだろうか?
夜の亀ウォッチング疲れているはずのトーマス氏が亀を見に行きたいという。夕食後、亀を見に行く。海亀の産卵撮影。
トーマス氏が遠くに見える漁船の光を見つけて、「亀が魚網にかかってしまうのでは」と心配していた。エビや魚を取る網によって毎年多くの海亀が捕らえられ、死ぬとのこと。海亀の死亡原因の90パーセントが魚網によるという。地元の海亀のガイドに「屋久島近郊の海で、海亀が魚網によってとらわれるのではないか、大丈夫か?」と聞いてみた。
「ここらへんじゃ〜、網はあんま使わないよ。一本釣りか槍で突いて捕まえるのがほとんど。亀が来る時期はあまり、網も張らないし。」
とのことだった。この旨をトーマス氏に伝えてみたが、まだすっきりしない様子。トーマス氏がエビを食べない一因として、このこともあるらしい。
2人で、海沿いを歩いて11時頃帰宅。疲れ果てて、就寝。
最後の朝
朝は5時半から2人で永田の浜を歩きながら、貝拾いに興じる。
息子さんへのお土産が欲しいらしい。きれいな貝は彼に献上した。
トーマス氏の希望で永田の灯台へ。
記念写真撮影。
なんと灯台でサルがグルーミングしていた! 別れを告げにきたのだろうか。さらば、ヤクザルの島。車に乗り込み、宮之浦へ、車を走らせる。昼食を小さなイタリア料理屋(清野さんいきつけ)でパスタを食べる。自然館で、念願の紀元杉ポスターを買う。他には大したお土産はない。お土産を買いたい人は宮之浦で買うのがベター。鉄生氏の会社に行く。
ゼロエミッション(「ゴミゼロ」と言う意味)
空港から5分ほど車を走らせたところに鉄生氏の会社がある。生ごみリサイクル「地力センター」だ。
ここでは、上屋久町(屋久島の半分)の一般家庭の生ごみ、屋久島中の木の廃材、倒木が運ばれてきて、コンポストになり、肥料に変えられる。木の廃材に関しては、買って引き取るほどの徹底ぶりである。
木の切りくずが巨大な山になってコンポストが作られている。その中に手を差し込んでみると、その熱さに驚く。特に化学処理をしているわけでなく、醗酵菌そのものの発熱によって100℃まで上がるそうだ。
屋久島では、この肥料の需要と供給が釣り合っているから、このセンターは持続可能であるらしい。肥料の生産は、屋久島で農業を行っている人がいてはじめて、成立しているのだ。この種の活動が、ここまでうまくいくのは、全国でもまれであるらしい。
3時15分ごろ、鉄生氏の会社を後にする。
3時25分 飛行場到着
清野さんと別れる。「サルの研究頑張って!」と伝える。
3時50分 屋久島空港離陸。伊丹まで一人当たり34470円。
4時20分 鹿児島空港到着
4時50分 離陸
飛行機内で、幸島で僕が冠地さんに教えてもらったことを、英語で書いたレポートを渡す。
6時15分 大阪空港(伊丹)到着
大阪は雨模様。週末なので交通渋滞。
6時50分 バス出発バスの中で、トーマス氏から僕の将来の専攻を決める上でのアドバイスをいただいた。「分類学と統計学を究めろ」とのこと。僕が「植物と動物を絡めてやりたい」と言うと、「霊長類学をやるにしても何か一つベースになる学問分野を作ったほうがよい」とのこと。
握手して、感謝の意を相互に伝え合い、キバレにいるミタニさんに、「リュータロがキバレにいきたいことを伝えて、行けるか聞いてみる」と約束してくれた。
さらば、トーマス。ノースカロライナにいる家族にもよろしく。僕はホテルの部屋を後にし、最終便の京都行き特急に乗って、京都へと帰った。
おわりに
いろいろなものを食べて生きているサルに、この旅で出会った。
「イモ洗いをしてイモを食うサル」「麦を洗って麦を食うサル」「文化を失い,麦を口で直接食うサル」「釣り人の魚を食うサル」「釣りの餌を食うサル」「ヤマモモの葉を食べるサル」「作物を盗んで食うサル」「母ザルの乳を吸う子ザル」「母ザルの乳を飲ましてもらえない子サル」食べるものによってサルは様々な姿を見せてくれる。
「イモ洗いの文化があること」「麦洗いの文化が失われたこと」「ボスの不在」「ヒトがサルに与える害」「サルがヒトに与える害」「荷物を奪う(嵐山)」「荷物を奪わない(幸島)」
サルは、単純に「食べる」行為を遂行しているだけにもかかわらず、ヒトの目には多種多様に映り、サルを多面的に知ることができる。餌づけしないと、ボスザルの存在をはじめ、ニホンザルの社会機構を理解するのは難しかったと思う。人づけは、サルの野生の姿の観察を可能にした。人づけと餌づけは、サルを知る上で両方不可欠なのだと思う。観察の方法として、餌づけや人づけを選ぶと、サルにどのような影響が現われるか、気になっている。
母ザルが育児拒否する現場を見た。死んだ子ザルを放さない母ザルの観察記録があるが、一方で、子育てしない母ザルもいるのかと驚いた。野生状態での育児拒否の原因は何なのか。育児拒否と人づけには関係があるのか。
霊長類研究所のチンパンジーで育児拒否が見られたという。育児拒否と人工保育との関係が指摘されているが、野生状態のチンパンジーが育児拒否することはあるのだろうか。松沢先生に、伺ってみたい。
今回の旅は、「本当に僕に行く資格があるのか?」と、とまどうほどの、魅力的なオファーだった。トーマス氏には、僕の将来へのアドバイスを与えてくれたこと、そして一流のナチュラリストの姿を、間近で見せてくれたことに感謝したい。松沢先生には、ポケットゼミからの縁で、こんな未熟者に、チャンスをいただき、ありがとうございました。
2004年7月27日 後藤龍太郎