事業報告
HOPE報告2004年9月13日
事業番号13(共同研究)
調査内容
(1) 腸内細菌検索のための新鮮便の採取
(2)
チンパンジーの摂取する水溶性食物繊維(ガム)の採取とin
vitro培養(予備調査)および滞留時間の推定
報告者:
京都府立大学・大学院農学研究科・助教授・牛田一成
期間:
出張期間 平成16年7月24日-平成16年8月23日(31日間)
ボッソウ滞在期間 平成16年7月29日-平成16年8月19日(21日間)
(1)腸内細菌検索のための新鮮便採取
野生チンパンジーの腸内細菌を分子生態学的手法に基づいて検索するために,新鮮便を採取した。
背景と目的:
チンパンジーの腸内細菌については,飼育下のものについても知られておらず,さらに野生チンパンジーの場合には,採便後ただちに培養を必要とする旧来法の適用が極めて困難なこともあってこれまで試みられたことがなかった。細菌のSSU
rRNA遺伝子のPCR増幅に基づくいわゆる分子生態学的な手法は,生菌を直接の対象としないので採便後の試料保存が技術的に可能であり,野生生物に適用可能と考えられた。
報告者はこれまでこの手法を用いて立山積雪中,あるいはブータンヒマラヤ氷河上の微生物コンソーシアムなど野外試料からの細菌の検出と同定を行ってきた(Segawa
et al. 投稿中)。本研究は,チンパンジーの新鮮便に対して同法を適用し,野生チンパンジー一般の腸内細菌の網羅的解析を行うとともに,ボッソウ地区試料においてはこれまでの研究によって個体識別と係累関係の把握がなされているため細菌学的見地からの係累間の類似性を検討することを目的としている。
また,飼育下のチンパンジーとの共通した細菌種を同定することが可能になればチンパンジー特異的な細菌種を推定することも可能になる。この細菌を飼育下チンパンジーから単離することができれば,その他の動物ことにヒトに由来する同種細菌との進化系統関係なども今後検討していける可能性を持つ。
方法:
研究者あるいはガイドによって排便の目視と排便個体の現認をおこなったうえで,土壌等による汚染を受けていない便の内側部分を滅菌ピンセットで95%エタノール中に採取した。エタノール濃度が70%以下になることを避けるため,ファルコンチューブの目盛りで採取量を調整した。
結果:
採便個体と採取日・時刻について採取の時系列で下に示す。
Yolo 7/31 9:20 移動中
Tua 7/31 10:40 樹上
Yo 7/31 11:00 樹上
Fotaiu 7/31 11:00 樹上
Pama 7/31 18:15 樹上
Peley 7/31 13:05 樹上
Fana, 8/1 12:00 移動中
Fanle 8/1 12:40 移動中
Jire 8/1 14:30 樹上
Jeje 8/1 15:30 樹上
Peley 8/2 9:00
Foaf 8/3 14:00 樹上
Velu 8/8 13:10
Fokaye 8/9 9:00 樹上
(2)
チンパンジーの摂取するガム類の栄養生理的意義の解明
チンパンジー特異的なネムノキ科木本のガム類の摂取の意義について知るために,ガムを採取するとともに予備調査としてその大腸における発酵性をチンパンジー新鮮便を用いたin
vitro培養法をおこなった。また培養時間の設定のため腸管内滞留時間を推定するため,ガムを摂取した時間が確定している個体の排便を追跡し,排便中のガム類の残滓を確認しようとした。
背景と目的:
Gban山中腹の登山道上にトコロテン状を呈するゲルの一塊りが放置されていることに気づいた。大橋の指摘から,これはチンパンジーが移動中に放置したものではないかと推定されたため,野生チンパンジーによるガム類の摂取について関心を持った。
アカシアなどネムノキ科の木本が樹皮についた傷からガム類を分泌することが知られており,古くからアラビアガムなどとして糊など工業用途に使われてきた。従来より食品ないしは粘度調整用の食品添加物として用いられている海藻由来の多糖と粘性やゲル強度など物性が類似するために,近年ではこれらの木本由来ガム類の食品用途への利用が考えられるようになっている。これらのガム類は,小腸における消化作用を受けず全量が大腸に到達することから「難消化性糖質」として定義されている。これらの糖質は,大腸で細菌によって限定的ではあるが分解作用をうけ,発酵産物として酢酸,プロピオン酸,酪酸などの短鎖脂肪酸を生み出す。短鎖脂肪酸はそれぞれ脂肪合成や糖新生,あるいはケトン体生成の前駆体であったり,ガン細胞に対する分化誘導やアポトーシス誘導などにみられる様に生理的な役割が異なっており,特定のガム類の摂取で特定の短鎖脂肪酸の生産が促されるということが明らかになれば,それに応じて機能性食品素材としての利用形態が種々考案されうる。たとえば酪酸の生成を誘導しやすい一部の難消化性糖質では大腸ガンの予防効果などが認められている(Kameue
et al. 2004)ことから,機能性食品素材として飲料等への利用が進められている。
アカシア由来のガム類は,アラビノースの置換を受けたガラクタンが主成分であり,基本的に無味無臭であり,上記のように小腸における糖質供給には全く役立たないが,一方大腸で発酵されればプロピオン酸を主体として種々の短鎖脂肪酸生成を誘導する(Ushida
et al. 2004)。また,その物性から小腸では胆汁酸の捕捉と再吸収阻害を起こし,結果的に血中コレステロール濃度を低下させる作用を示したり,病態モデルにおいては血糖や血漿中性脂肪さらに血圧正常化作用を示すほか,便の体積を増加させるなどして排便促進に直接的効果を示す。
野生チンパンジーに認められるガム類の摂取行動(Nishida
& Uehara 1983; Sugiyama & Koman 1987, 1992; Yamagoshi, 1998)が,野生チンパンジーに対して栄養学的に何らかの意義を持つ可能性がある。追跡調査中の観察によれば,野生チンパンジーは移動中にガム類を発見すると移動を中断して木に登りこれを摂取するという(大橋,
未発表)。大橋による行動観察から推測するとチンパンジーは相当積極的にガム類を摂取しており,その栄養生理的意義について考察する必要があると思われた。
方法:
化学組成分析と培養試験および実験動物をもちいた栄養実験のためにボッソウ周辺のネムノキ科木本を中心にガム類を採取し,一部をエタノール中に保存するとともに残りを風乾した。チンパンジーの新鮮便による培養試験は,Albizia
zygiaから採取したガム原物0.1gを2ml滅菌アシストチューブにとり,チンパンジー新鮮便の5倍希釈液2ml中で嫌気的に培養した。ヘッドスペースの気相を作らないことと希釈に用いた緩衝液を事前に煮沸によって脱気し,でできる限り嫌気条件を作るように努力した。希釈用の緩衝液は,別の用途のために調整されて持ち込まれていたものであったが,記載の内容が中性のリン酸緩衝系(BU
buffer)であることとが明らかであったため,また他に手段もないのでモル濃度等が未確認であったが使用した。培養の温度管理は,現地では適切な手段がないため報告者の体温によって維持する方法をとった。
培養0h, 6h, 12h, 18h, 24h後にバッテリー用の希硫酸0.1mlを加えるとともに冷凍し発酵を停止させた。
今後,短鎖脂肪酸の濃度をHPLCによって測定する。ガム類からの生成の有無を知るため,同時にガム類無添加の培養を行い,両者の差によって評価する方法をとる。
また,一頭のチンパンジーでガムの摂取が藤田によって現認されたため,その後の排便中でガムの存在の有無を確認し培養時間の設定を行った。
結果:
Albizia zygia (DC) JF, Albizia lebbeck (L) Benth, Albizia ferruginea
(Guill & Perr) Benth, Sterculia tragacantha Lind, Parkia bicolor
A.Chevよりそれぞれガム類を採取した。
このうち,A.zygiaが最も多量に採取可能であったので,これを用いて培養を行った。
Veluが前日11:40にガムを摂取したことが藤田の観察によって記録されたため,この個体の便を継続的に採取する目的で追跡した。また,この個体の新鮮便を簡易的な培養の細菌源に用いることにした。同個体は,朝移動前の7:20に排便したために,これを現場にて便内容の確認をおこないガム片の存在を確認した(5
mm x 5 mm x 8 mmが4片)。また,この便より一部を採取し,ただちにラボに持ち帰り10gを40mlの緩衝液と混合したのちフィルター(茶こし)濾過し,この濾液をチューブに分注して培養作業を開始した。チンパンジー個体はその後13:39の便の採取までは継続して追跡可能であったが,便採取後ほどなくして見失った。この13:39の排便中にもほぼ同量のガム片が視認できた。滞留時間は,したがって19時間40分以上と推定された。また,ガムの便中での回収量は,ガムの形状が視認できた一片を原物重量でしめすと0.15g程度であった。2回採取できた便から,1g強のガムが排泄されていたことになる。前日11:40のガム摂取量は把握できていないが,A.zygiaとすると一カ所から分泌されているガムの一塊が多くの場合で20から30gの量になっているので,両者から考えると相当な分解量を示唆している。しかし,藤田によると便の中に相当量のガムの混じるケースが観察されており,分解量についてはさらに検討が必要である。
本調査で得たガム類は,報告者の感覚では少なくともA.zygia由来のものについて無味であることを摂食して確認した。これらのガム類は大気中に暴露されると次第に褐変するようなので純粋の多糖ということではなく微量のポリフェノール系の化合物を含んでいる模様である。また,可能性として一部の塩基性アミノ酸の介在も考えられる。これらの微量成分は,一定の味を持つはずなので嗜好に対して何らかの影響を持つ可能性がある。しかし大橋と藤田によると古くても新しくてもチンパンジーはガムを摂取している模様であり,その点から見て少なくともポリフェノール系化合物の酸化重合の程度とガム摂取の嗜好性については特段の関係がないように思われた。
HOPE Project<hope@pri.kyoto-u.ac.jp>
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