放談会 「 HOPEの未来を語る 」

2006年5月29日 京大霊長類研究所 小会議室にて
参加者 遠藤秀紀 (京大霊長類研究所・教授)
  松井智子 (京大霊長類研究所・助教授)
  橋本千絵 (京大霊長類研究所・助手)
  託見 健 (京大霊長類研究所・DC)




遠藤

HOPEプロジェクトは、日本学術振興会(JSPS)とマックスプランク協会(MPG)の支援のもと、平成15年度より始まりました。今日は、「社会」「体」「ゲノム」「心」の各研究区分を研究されている方々に集まっていただき、「HOPEプロジェクトの現状と未来」について、其々の視点から、現在感じているところを率直に語り合いたいと思います。 

まず始めに、HOPEプロジェクトの魅力の一つとして、予算を比較的広い目的に使用できることがありますが、大まかに見ると、研究区分の「社会」と「体」に属する方たちは野外調査に、「ゲノム」と「心」では、主に国際会議への参加や研究の打ち合わせ等に利用されている傾向があるようですね。

「社会」の研究をされている橋本さんの場合はいかがですか?


橋本

そうですね。私が行っている野生ボノボの研究でも、主に海外での野外調査にHOPEを利用させてもらっています。それ以外にも、一昨年のことになりますが、HOPEで、ドイツのマックスプランク進化人類学研究所で行われた国際シンポジウムに参加させてもらいました。シンポジウムのテーマは「類人猿の感染症」。例えば、野外で類人猿を研究する者がどれくらいの距離を保てば感染を防げるか等についての検討がなされました。ボノボの野外調査を進める上で、この国際シンポジウムへの参加は大変勉強になりました。


遠藤

なるほど。野外調査以外にも、そうした利用方法もあるのですね。生理の研究をしている託見さんはいかがですか?


託見

僕も今年度、HOPEに申請して、秋にアトランタで開催される第36回北米神経科学会に参加できることになりました。この学会は、世界中から約2万人の研究者が参加するかなり大規模なものです。現在、「霊長類の思春期の発来にともなう視床下部神経細胞への神経入力の変化」というテーマで研究を行っていますので、これに関する最新の研究資料の収集と情報交換ができればと思っています。


松井

HOPEは、博士課程の学生も申請ができるところが良いですよね。博士課程の学生なら、海外での学会や調査で何かを吸収してくるだけでなく、GIVEする能力も備えていますしね。


託見

残念ながら今回は研究発表を行う準備が間に合いませんでしたが、いずれは自らの研究成果をこうした大きな学会で発表したいと思っています。ただ、僕たち学生は、海外の学会に参加したいと思っても、なかなかそうした機会には恵まれませんので、今回頂いたチャンスは大変有り難いです。以前に一度だけ、先生の研究旅費で海外の学会へ行かせてもらったことはありましたが、毎年行かせてもらうわけにはいきませんから。


遠藤

とにかく若いうちに海外に出て、様々な経験を積むことは大切ですよね。各国の研究者と知り合うチャンスもあるし、得るものは大きいですよ。


松井

同様に海外からも若手研究者を招聘して、日本で多くを経験してもらい、お互いが霊長類研究の将来に向けてより良い関係を築ければよいですね。


遠藤

僕もそう思います。昨年のことになりますが、日本で国際哺乳類学会が開催されたときに、HOPEで、ベトナムから若い研究者を一人招聘しました。ベトナムでは現在のところ、サルの研究をしている人はほとんどなく、国内にどんなサルが生息しているかも正確には把握されていません。そこで、何とか彼らの手助けができればと思い、その後、私もベトナムで野外調査を行ったりもしました。今はHOPEを通して、できる限りこうしたベトナムの若い研究者を育てていきたいという気持ちがあります。


松井

 HOPE単独で学界を開くとか、大きな会議をもつことは難しくても、世界から人を呼び寄せて、大きなものに向かって一緒に何かを始めていくことはできますよね


遠藤

十分可能だと思います。ただ、ベトナムを始め、国によっては、せっかく築いた研究者との関係や計画が、政治的な混乱でうまくいかなくなることもある。先進国の拠点づくりといっても、日本もアメリカもイギリスも、そのことを考慮せずに進めるのは愚かなことです。


橋本

 政治的な混乱といえば、私が野生ボノボの野外調査を行っているコンゴ民主共和国もまた、1997年から始まった内戦で、研究を中断せざるを得ない状況にありました。2002年から、コンゴ森林生態研究所と日本研究チームとの共同調査が再開され、私もそれに加わって、野生のボノボが食物環境の変化にどのように適応しているのかを調べています。2004年にはワンバで食物の利用可能性と季節変化、食物量の調査を行い、翌年にはHOPEに申請して、再度ワンバで調査を実施しました。今年も申請が通ったので、2007年に再度ワンバで調査する予定です。現在、内乱は小康状態ですが、今も国内は整備されておらず、調査地への移動にチャーター機を必要とする場合など高額の予算が必要になるのですが、科研費や他の研究費では捻出が難しいところも、HOPEでは出してもらえることが大変有り難いです。また、日頃は現地の方たちに細かい調査を依頼しているのですが、HOPEのお陰で、毎年、私たちがワンバ入りして調査の監督をできるので助かっています。               


遠藤

国際交流拠点事業は、もちろん先進国がスクラムを組んで新しい学術を創っていくことです。しかし、生物学は先進国だけがつきあっていればうまくいくような、ある意味つまらない学問ではありません。調査地で仕事をせずに拠点、拠点と言っても、それはただの先進国のわがまま。HOPEは、世界中にくまなく学術の源泉があり、そこで仕事をしてこそ、初めて先進国間の拠点づくりもうまくいくと考えています。

一昔前までは、調査先の国で得られた研究成果を、根こそぎ自国へ持ち帰えってしまっていた時代もありましたが、最近ではそうした傾向は少なくなっているようで、ほっとしています。橋本さんの研究でも、コンゴの現地の人に研究へ参加してもらうことで、ボノボ研究の成果をコンゴの人々と共有できているということが非常に良いことだと思います。大げさかもしれませんが、HOPEがコンゴにおけるボノボ研究の未来を支えていると言えるかもしれませんね。


橋本

他にHOPEの良い点として、先ほども話にあがりましたが、大学院生でも毎年、海外の調査に出かけることができることにあります。実際、学生のうちに海外で野外調査を行うことによって、研究の夢がより広がるし、あるいは今の研究テーマを掘り下げることにもつながっていると感じています。


遠藤

若者を前線に送り込むことが、HOPEには可能ということだと思います。そこで、経験を積んだり、新たな発見をしたり、人脈を広げたりすることができるわけです。

託見さんの例にしたって、神経学会に一度出席したからといって急に論文が書けるというものでもないけれど、その学会で、普段では会えない人に出会い、それが一生の友人となる場合だってある。会う度に新しいものの考え方を教わる関係を築くことも。或いは、こちらが何かを与えることだってできるわけです。


松井

逆に、海外の研究者、特に若手の研究者たちを日本に招聘するケースがもっと増えても良いと思います。海外から招聘するより、日本から海外へ派遣することの方に、多くの予算が使われていますよね。そこは改善が必要な点だと思います。

私の研究区分である「心」の分野では、国際学会に参加して、頻繁に最新情報の収集や意見交換をすることが非常に重要です。例えば、一人の重要な研究者を日本に招くことで、多くの日本人研究者がその恩恵を受けることができるでしょうし、また、権威の確立した方だけでなく、若い研究者を招いて、新しい情報や手法、斬新なアイディアを分けてもらうことは、私たちの研究を更に発展させる上で、貴重なチャンスになるかもしれません。そこから新たな共同研究につながることもあると思います。


橋本

特に、研究の主体が日本にある場合には、HOPEの予算でもっと容易に海外から研究者を招聘できると助かります。


遠藤

私も賛成です。これからは招聘にも力を入れるべきだと思います。HOPEは常に、「研究のために便利なHOPE」であって欲しいものです。


松井

「体」を研究区分とする遠藤さんはHOPEを主にどのように活用されていますか。


遠藤

私の専門は解剖学ですので、国内外において野外調査を行うこともありますが、もっぱら、動物解剖と博物館での調査研究が中心となります。外国の博物館に行って標本を見るたびに感じることですが、それらを長年守ってきた国やその国の価値体系、キュレーターたちに対して、何らかの恩返しをしたいという気持ちになります。そのためには、標本を今の目で見て、成果に変えていくことが必要です。今は、その仕事をHOPEでやらせてもらっていると感じています。

また、海外にいくたびに、他国のバイオロジーは日本でやっているような生ぬるいものじゃないということを痛感します。残念ながら日本では、明治維新以降、現在に至るまで、標本に対する評価が非常に低い状態にありますので、この現状を何とかしたいという強い気持ちもあります。


松井

今の話を伺って、ベトナムの若い研究者たちをサポートする一方で、昔と変わらず未だに日本からヨーロッパや北米に行って、バイオロジーに関することを学ばねばならないという現実があるということに驚かされます。日本は、経済や科学技術には長けていても、まだまだ文化的な意識が低くて、何十年も前から意識改革が進んでいないのですね。


遠藤

もしかしたら、サイエンスとテクノロジーの区別が、まだつけられない国なのかもしれませんね。ある意味、日本の恥ずかしい姿を認識する機会をHOPEが与えてくれていると言えるかもしれません。先進国間の拠点づくりをすると露呈してくるのは、日本の純粋基礎科学政策があまりにも拝金主義に堕しているということですね。


松井

他に海外で行う調査研究で気がつくことはありますか?


遠藤

僕のこれまでの研究スタイルとして、現地にどっぷりつかって、現地の人ととことん関わって研究を進めていくという方法をとっています。ですから、一つの研究を通して、永く交流をもち、協力して研究を進めるという関係になることもあります。ところが、僕の見たところでは、わりと先進国、特にアメリカの研究者などは、あまり現地の人々と係わりを持たずに研究を進めるケースが多いように思います。海外での研究調査では、各国から来た研究者の研究スタイルの違いが見えて面白いですよ。


橋本

そうですね。私がこれまで見てきた例でも、アメリカの研究者は、現地にテントを張るか、或いは、大きな家をどーんと構えて研究を進めるというケースが多かったように思います。反対に、日本人研究者は私も含め、わりと現地の人の家に泊めてもらったりしながら調査を行うことが多いようですね。


遠藤

今年もHOPEで、マダガスカル島へ行き、キツネザル類やテンレック類に関する運動器やコミュニケーション装置についての調査をする予定ですが、ここでも、できる限り現地の研究者と深く関わって共に調査研究をしたいと考えています。

マダガスカルは、戦争や内紛などはないけれど、フランスが引き上げてからは社会的に様々な面が停滞し、衰退していく一方で、とてもサイエンスにまで手が回る環境にありません。そのために若い研究者がほとんど育っていかない。だから、現地で行う僕たちの解剖実験に興味をもってくれる研究者に出会えたなら、彼らを日本へ招聘して、僕らの考えるサイエンスを伝えたいと思っています。そして、マダガスカルに生息するサルたちの貴重な標本を、どう維持していったらよいかを一緒に考えて、励ますことで、その人たちをサポートしていければ良いなと思います。実際のところ、とりあえず現時点で僕らにできることは、彼らの研究を、精神的な面で支えていくことぐらいしかありませんから。


松井

これまでの話からも、「若い研究者の育成」は、HOPEプロジェクトの重要な役割の一つと言えそうですね。


遠藤

HOPEの交流事業で学んだ若い人々が、いずれは霊長類学や動物学研究の中心を担う人材になっていくのですからね。


松井

本当にそうですね。それも、そう遠い先の話ではないと思います。

ところでHOPEプロジェクトは、共同利用研究システムの「国際版」と考えて良いのでしょうか?あるいは、それを目指しているのでしょうか?


遠藤

共同利用研究システムの国際版という長所は見えてきているといえます。とりわけ若い人には積極的に利用して、チャンスをつかんで欲しいと思います。

ここまで皆さんの話を伺って、各研究分野において、HOPEが様々に貢献していることがわかりました。そして、これからの霊長類学研究のために、HOPEは、「若い研究者を育成する」という重要な役割を担っていることも。また、海外からの招聘を活発にしたいとの改善すべき点も見えてきましたね。


松井

あとは今後の課題として、HOPEに参加して得た研究成果をどうやって世界へ発信していくかということがありますね。


遠藤

これまでのような事務的な報告書の羅列ではなく、自分たちが行っている研究の魅力、面白さが存分に伝わるような形で、これまで以上に積極的に発信していかねばならないと思います。

霊長類研究の一端を支えるHOPEの未来は、このプロジェクトに参加されている研究者一人ひとりの意識と行動にかかっているといえるかもしれませんね。

HOPE Project<>