私たちは、人々の生活の背景にあった森林環境、狩猟活動、ニホンザルの分布、信仰形態を調べながら人と自然とのつきあい方の歴史の一端を明らかにし記録したいと考えています。現在、全国数カ所でこの風習に関するアンケート調査を実施中です。このアンケートを読み回答いただける方がおられましたら、ご協力ください。なお、アンケート用語の簡単な解説を付けたので参考にしてください。
京都大学霊長類研究所集団遺伝分野 川本 芳
NPO法人
ニホンザル・フィールドステーション 三戸幸久
問い合わせ先代表Fax:0568−62−9554
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アンケート
[質問1]御地にはウマやサルについての資料や行事はありますか?ありましたか?
(該当する項目に○印をおつけください。いくつでもけっこうです。)
1.ウマやサルに関わった石塔、石碑などがある(あった)。
2.ウマやサルに関わった神社・仏寺がある(あった)。
3.馬小屋、牛小屋にサルの頭や手がある(あった)。
4.ウマやサルに関わった神事、祭りがある(あった)。
5.ウマやサルに関わった「講」や法会がある(あった)。
6.その他
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[質問2]質問の 1で○印をおつけになった項目に関して、そうした信仰、風習、文化はあります(ありました)か?
(該当する項目に○印をおつけください。いくつでもけっこうです。)
1.そうぜんしん・ごそうぜんさま)
(蒼膳神、勝善、宗善、正善、想善、總前、宗前、惣前、勝先などとも書く)
2.ばれきしん(馬櫪神)
3.ばとうかんのん(馬頭観音、馬頭観世音)
4.こうしんさま(庚申様、庚申講)
5.うまやざる(厩猿)
6.ひえ・ひよし・さんのう・さんのうごんげん(日吉信仰・山王様)
7.その他、ウマやサルに関する信仰や風習
( )
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ご意見・ご感想をご自由にお書きください。
ご協力ありがとうございました。
*個人情報は大切に保管し、この研究調査以外の目的では使用いたしません。
(アンケート用語解説)
蒼膳神(そうぜんしん)について
ウマの守り神で、民俗学者の柳田国男は、厩猿、馬頭観音、馬櫪神、猿引きなどサルを護る動物神仏霊魂などすべてを"そうぜんしん"として解説しています。この名称は東北地方や関東地方に多く見られます。
厩猿(うまやざる)
平安時代末期(12C.ころ)の梁塵秘抄(唱謡歌集)に、厩(うまや)の隅に飼っているサルのことが書かれています。平安時代の末期から室町に入っていく時代には、もう厩の中にサルが飼われていました。
日本では猿回しが厩の前でサルが舞ったというのが最初のようで、それが厩にサルが飼われ、その後、サルの頭骨や手が祭られ信仰されたようです。なお中国ではウマの病は飼われているサルの頭に集まるのでウマの無病息災に効果がある旨の解説があります。(明(19C.)の本草綱目)
馬を飼っている場所で生きたサルを飼うということがどういうことなのか。ニホンザルはご存じのように肉食ではなく草食です。有蹄類の馬や牛にとってはサルは害がなく、一緒に飼っていると相性が良く、サルが横にいると馬や牛が非常に安心するといわれています。
このように考えると厩にサルをおくというのは、非常に有用で効果的なサルの利用方法であり飼育風習です。それがいつのまにか信仰となって、サルは馬や牛の守り神と考えられるようになったと考えられます。
馬歴神(ばれきじん)
「馬櫪神」とは、一般に厩(うまや)の根太(ねだ=床板を受けるために床下にわたす横木)、或いは馬の飼い葉桶を指します(広辞苑)。
「馬櫪神」は馬の守護神で、両足で猿とセキレイとを踏まえて両手に剣をもつという神様です。中国では唐時代(7C.〜10C.)に信仰されたようです。
(アニマティズムの色濃い、厩に使われるものの霊を神として位置づける。)
馬頭観音(ばとうかんのん)
頭上に馬頭をいただいて憤怒の相をなした観世音菩薩。普通は三面で二臂、八臂などがあります。馬頭明王ともいい八大明王の一。馬の守護神として、特に江戸時代(17C.〜19C.)に広く信仰されました(広辞苑)。
「13C.初頭には馬頭観音は登場していなく、馬頭観音が飼馬の守護神として信仰され出すのは近世に入り、馬が農民にとって重要な家畜となるにいたってからである。」
仏教系 菩薩(神仏習合による日本の神の尊号)、明王(密教の明王。五大明王など)が守り神となる。
山王信仰(さんのうしんこう)
山王信仰とは、滋賀県大津市の日吉大社に対する信仰で、その起源は古くからあった山岳信仰です。
平安時代になって最澄が日枝山に延暦寺を建立し、山麓の日吉の神々を延暦寺の守り神としそれを「山王」とよびました。これは中国の天台山に山王祠が祭られていることにならったものといわれています。日吉大社は仏教風に「山王権現」「日吉山王」ともよばれ、その信仰は全国に広まり各地に日吉神社・日枝神社が建てられました。
山王信仰に猿が神の使いとされることが知られていますが、比叡山土着の古い信仰においてその山に棲息するニホンザルを神の使いとしていたからだと考えられています。
庚申信仰(こうしんしんこう)
庚申の日には庚申講(こうしんこう。庚申待、宵庚申とも)が行われました。これは、道教の伝説に基づくものです。
人間の頭と腹と足には三尸(さんし)の虫(彭侯子・彭常子・命児子)がいて、いつもその人の悪事を監視しているという。三尸の虫は庚申の日の夜の寝ている間に天に登って天帝に日頃の行いを報告し、罪状によっては寿命が縮められると言われていました。そこで、三尸の虫が天に登れないようにするため、この夜は村中の人達が集まって神々を祀り、その後、寝ずに酒盛りなどをして夜を明かしました。これを庚申講といいます。庚申講を3年18回続けた記念に建立されたのが庚申塔で、今も各地に残っています。
日本には古くから伝わっていたものと考えられており、『枕草子』にも庚申講の話が登場します。江戸時代に民間にも広まり、現代でも親睦会などに名前を変えて今でも庚申講を行っている地方もあります。
[参考にした資料]
飯倉照平(1973):南方熊楠 十二支考2、東洋文庫、平凡社
石田英一郎(1970):石田英一郎全集第5巻、筑摩書房
牛の博物館友の会(2004):牛馬の守護神厩猿信仰、牛の博物館
柳田国男(1970):定本柳田国男集第27巻、筑摩書房