研究の概要

1.アフリカにおける化石類人猿の研究

 類人猿の起源や、その進化の歴史については、まだまだわからないことがたくさんあります。現在の証拠からは、初期の類人猿はアフリカで生まれ、その後、中新世(2300万年〜500万年前)の前期末から中期初めのころにユーラシア大陸へ進出していったと考えられています。また、現生類人猿のタンパク質やDNAなどの生体分子の研究から、人類に最も近い動物はアフリカにすむチンパンジーとボノボ(ピグミーチンパンジー)、その次がやはりアフリカにいるゴリラだということがわかっています。最古の人類化石もやはりアフリカからみつかっているので、アフリカが人類揺籃の土地であることはほぼまちがいありません。ところが、残念なことに、チンパンジーやゴリラの直接の祖先、あるいはアフリカ類人猿と人類の共通祖先の化石は、いまだに発見されていないのです。

 もっと古い時代の類人猿の化石は、東アフリカのケニヤやウガンダから見つかっています。時代は漸新世の後期(約2500万年前)から中新世中期の初め(1500万〜1400万年前)が中心です。しかし、この頃の類人猿は、まだ原始的な特徴をたくさん残しており、現在の類人猿との関係はあまりはっきりしません。たとえば、現生の類人猿は、テナガザルからチンパンジーまで、なんらかのかたちで枝からぶらさがる運動様式への適応を見せています。われわれ人類も、そのような基本設計の上に直立二足歩行へ特殊化した類人猿の一種です。アフリカから見つかっている初期人類(アウストラロピテクス類)のなかには、腕が長かったり、指が湾曲していたり、樹上でぶらさがっていたころの名残りがいくつか見られます。ところが、東アフリカの古い類人猿は、基本的に枝の上を四つ足で歩く動物だったと考えられています。これは霊長類としては一般的な運動様式なので、彼らは「一般的樹上性四足歩行者」と呼ばれています。

 彼らは現在の類人猿やわれわれを生み出した直接の祖先なのでしょうか? それとも、われわれに直接つながる系統は当時、アフリカのどこか別の地域に生息していて、その化石はいつか人類学者に発見される日まで、いまだわれわれの知らないどこか、たとえばコンゴ盆地の熱帯雨林の奥深く、あるいはサハラ沙漠の砂の下で眠り続けているのでしょうか? その答を、人類学者たちもまだもっていません。というのも、アフリカからは、中新世の半ば以降の類人猿の化石が、わずかな例外をのぞいてまだほとんど発見されていないのです。それに、漸新世後期から中新世前半の類人猿化石が見つかっているのも、つい最近まで東アフリカの一部の地域に限られていました。1990年代に入ってようやく、アフリカ南部からも若干の類人猿化石が報告されるようになりましたが、それまではケニヤとウガンダからしか類人猿化石は見つかっていなかったのです。人類学者たちは広大なアフリカ大陸の数%程度の狭い地域から得られる情報に頼る他ありませんでした。

 1990年代には、まずナミビアのオタヴィ地域にあるベルフ・アウカス(Berg Aukas)という場所から、1300万年前の類人猿の下顎といくつかの体肢骨が報告されました。この類人猿は新属新種のオタヴィピテクス・ナミビエンシス(Otavipithecus namibiensis)と命名されました。ついで、南アフリカ共和国のレイスコップ(Ryskop)から、1800万年前の類人猿の上顎大臼歯の破片が発見されました。この標本は小さな破片に過ぎませんが、重要な意味をもっています。それは、1800万年前という比較的早い時期に、すでに類人猿がアフリカの東部から南端まで、広い範囲に生息していたことを示唆しているからです。現在、化石と分子の証拠を総合して、テナガザルが大型類人猿とわかれたのが約2000万年前だろうと推定されています。レイスコップ・ホミノイドの、ほんの少し前の時代です。つまり、現生の類人猿につながる系統が分岐をはじめたころには、もうアフリカのあちらこちらに類人猿が生息していた可能性が大きいのです。

 しかし、アフリカ南部でもまだ類人猿化石は発見されはじめたばかりです。いまのところ、アフリカのなかにかぎっても、われわれの眼前には、類人猿の進化に関して年代的にも地理的にも証拠の欠落した巨大な空白地帯が広がっています。この巨大な空白を埋めるために、人類学者たちはいまも研究を続けています。日本の調査隊も、ケニヤ北部の化石産地で長年、野外調査をおこなってきました。これは、現在、京都大学理学部の自然人類学研究室にいる石田英実教授が、1980年から続けているものです。われわれは隊長の名前にちなんで、この調査隊のことを通称「石田隊」と呼んでいます。わたしは、まだ自然人類学研究室の大学院生だった1989年に初めて石田隊に参加してケニヤに出かけました。以来、野外調査に参加して化石を探したり、ケニヤ国立博物館に保管されている類人猿化石を研究したりするために、毎年のようにケニヤと日本のあいだを往復する渡り鳥のような生活を送っています。石田隊の調査では、たくさんの霊長類化石が見つかっており、大型類人猿の新属新種(サンブルピテクス・キプタラミ Samburupithecus kiptalami Ishida & Pickford 1997、ナチョラピテクス・ケリオイ Nacholapithecus kerioi Ishida, Kunimatsu, Nakatsukasa & Nakano 1999)や、小型類人猿の新種(ニャンザピテクス・ハリソニ Nyanzapithecus harrisoni Kunimatsu 1997)が記載などの成果が上がっています。

 

 

   

ケニア北部サンブル丘陵(Samburu Hills)の化石産地での発掘風景

 

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