上原重男アーカイヴス

(2006年8月発足、2022年1月から、京都大学大学院理学研究科人類進化論研究室のホームページに移管しました。)





上原重男教授が2004年8月24日にご逝去されました。享年58。画像資料を「上原重男アーカイブス」として公開いたします。上原先生の、30年以上にわたる霊長類の研究活動と、そこでご覧になった景色を、貴重な写真資料をもとに、広く皆様にご紹介したいと考えました。解説文は、上原先生のフィールドノートやご著書、また「霊長類研究」に掲載された西田利貞さんによる追悼文などを参考にさせていただきました。また、本ホームページ作成にあたっては、ご遺族のご理解とご協力を得ました。

      マハレ山塊、パサグル山にて。
      中心が上原重男さん。右は伊谷純一郎さん。
      後列左より、モハメディさん、サディさん。

アフリカの写真

日本の写真


タンザニア・マハレの写真
チンパンジーの写真

ザイール(現コンゴ民主共和国)の写真
ピグミーチンパンジー(ボノボ、ビーリヤ)の写真
千葉県のニホンザル
屋久島のニホンザル
その他の地域のニホンザル

上原重男教授は、1971年に京都大学大学院理学研究科にてニホンザル研究をはじめられ、1973年以降、タンザニア・マハレを中心に、ザイール(現コンゴ民主共和国)やウガンダとアフリカ各地で、チンパンジーやピグミーチンパンジーを調査されました。霊長類の生態学、行動学、社会学的研究だけでなく、生息環境の植物分類学、哺乳類やアリの密度推定など幅広い視点から研究をおこなわれました。学会では、日本霊長類学会の理事や日本人類学会の評議員、また学会誌「霊長類研究」の編集長、雑誌「にほんざる」や英文ニュースレター「パン・アフリカ・ニュース」の編集委員としても活躍されました。1999年からは、霊長類研究所の教授としてさらなる研究と後進の指導にあたられました。


   上原先生は、タンザニア・マハレの、K集団のチンパンジーによるPseudacanthotermes属のシロアリ釣りを発見されました。これは、上原先生のほかには誰も観察したことがない行動で、このアーカイブスに収められた写真は貴重な資料です(ちなみにタンザニア・ゴンベのチンパンジーが釣るシロアリはマクロテルメス属。マハレM集団のチンパンジーでは、オオアリ釣りは観察されるがシロアリは釣らない)。チンパンジーがシロアリ塚の土を食べること、雨季の終わりに塚から出てきた羽のついた女王や王シロアリを手づかみで食べることも初めて報告されています。

 また、メスの移籍を丹念にまとめ、チンパンジーの単位集団は、複雄複雌集団であり、リチャード・ランガム等の主張する複数の雄だけのグループではないと結論されました。

   人間家族の起源を考察する上で重要であるということで、チンパンジーの狩猟行動や行動の性差、年齢差についても重点的に研究をおこなわれました。M集団ではオオアリ釣りをよくするのはメスで、オスは狩猟行動をよくすることをあきらかにされています。この性差は隣のK集団では見られず、その理由のひとつとして、M集団では大人のオスの数が多く、発情メスや順位をめぐって政治的なやり取りに忙しいため、オオアリ釣りする余裕がないと考えられました。またチンパンジーの狩猟対象がどのように決まっているか検討するため、その哺乳類動物の生息密度を調査されました。

   上原先生の業績は多方面に及んでいます。数年にわたりチンパンジーの体重をはかり、マハレのチンパンジーの体重が雨季の中ごろに減少することをあきらかにされました。草本の茎を食べるスピードが年齢によって異なることを発見されました。権力闘争に敗れ村八分になったアルファオスが復権できるのは、集団本体に連合できるオトナのオスが確保できるときだけであると議論されました。母親のチンパンジーが病気になったとき、その赤ん坊を若い大人のメスが1週間子守りをしたエピソードを紹介した報告もあります。また、基礎になる調査も多くおこなわれました。マハレの植物の「トングェ語・ラテン語対照リスト」やチンパンジーの「食用植物のリスト」を西田さんと共著で作成し、またMグループの初期の個体識別にも大きく貢献されました。これこそ現在も続いている長期研究の基礎をなすものです。

   ザイール(現コンゴ民主共和国)では、湿性草原を2つのピグミーチンパンジーの集団が利用することや、集団間関係が敵対的であること、水浸しになって8種の水中の植物を食べることなど報告されました。

   日本国内のフィールドでは、修士論文で「ニホンザルの木本性植物における温帯林要素の重要性とサルの分布への歴史的意義」を表し、ニホンザルが西方から日本列島へやってきて北上した、という仮説を提出されました。千葉県では高宕山を中心に、ニホンザルと生息環境の関係について研究されました。鹿児島県屋久島では多くの研究者とともに、ニホンザル自然群の分布を調べるために屋久島を縦横に踏査されました。1970年には「志賀高原にヒメカイウの群生地を発見」を報告しておられます。霊長類に限らず自然に対して広い関心をもってらっしゃった上原ならではの報告です。



上原重男教授略歴
1964年3月東京教育大学付属駒場高等学校卒業
1964年4月東京大学農学部林学科入学
1969年3月同卒業
1969年4月東京大学大学院農学系研究科修士課程林学専門課程入学
1971年3月同修了東京大学農学修士
1971年4月京都大学大学院理学研究科修士課程動物学専攻入学
1973年3月同修了京都大学理学修士
1973年4月京都大学大学院理学研究科博士課程動物学専攻進学
1976年9月同単位取得退学
1981年3月京都大学理学博士を授与される
1976年10月〜1976年11月東京大学理学部人類学教室客員研究員
1976年11月〜1978年12月国際協力事業団技術協力専門家
1978年12月〜1979年3月東京大学理学部人類学教室客員研究員
1979年3月〜1981年3月東京大学理学部人類学教室研究生
1981年4月〜1985年3月札幌大学教養部助教授
1985年4月〜1995年3月札幌大学教養部教授
1995年4月〜1999年3月札幌大学法学部教授
1999年4月〜京都大学霊長類研究所教授

海外調査
1973年9月20日〜1974年1月18日タンザニア  マハレ
1975年6月30日〜1976年2月23日ザイール  イヨコ
1976年11月9日〜1978年12月23日タンザニア  マハレ
1983年9月10日〜1984年3月14日タンザニア  マハレ
1987年8月26日〜1988年1月22日タンザニア  マハレ
1992年3月21日〜1992年8月5日タンザニア  マハレ
1996年9月25日〜1997年1月1日タンザニア  マハレ
2000年9月26日〜2000年12月7日タンザニア  マハレ
2002年2月25日〜2002年3月9日タンザニア  マハレ
2002年10月26日〜2002年11月10日タンザニア  マハレ
2002年11月16日〜2002年11月29日ウガンダ  カリンズ
2002年11月29日〜2002年12月9日タンザニア  アルーシャ



業績 (Publications)


文責 座馬耕一郎
製作協力 京都大学霊長類研究所 サル学画像データベース作成委員会
本アーカイブの作成の一部は、文部科学省21世紀COEプログラム(A14,京都大学)および日本学術振興会平成15・16年度科学研究費補助金研究成果公開促進費(データベース、#158099、#168101)の補助を受けて行われています

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