上原重男教授は、1971年に京都大学大学院理学研究科にてニホンザル研究をはじめられ、1973年以降、タンザニア・マハレを中心に、ザイール(現コンゴ民主共和国)やウガンダとアフリカ各地で、チンパンジーやピグミーチンパンジーを調査されました。霊長類の生態学、行動学、社会学的研究だけでなく、生息環境の植物分類学、哺乳類やアリの密度推定など幅広い視点から研究をおこなわれました。学会では、日本霊長類学会の理事や日本人類学会の評議員、また学会誌「霊長類研究」の編集長、雑誌「にほんざる」や英文ニュースレター「パン・アフリカ・ニュース」の編集委員としても活躍されました。1999年からは、霊長類研究所の教授としてさらなる研究と後進の指導にあたられました。
また、メスの移籍を丹念にまとめ、チンパンジーの単位集団は、複雄複雌集団であり、リチャード・ランガム等の主張する複数の雄だけのグループではないと結論されました。
人間家族の起源を考察する上で重要であるということで、チンパンジーの狩猟行動や行動の性差、年齢差についても重点的に研究をおこなわれました。M集団ではオオアリ釣りをよくするのはメスで、オスは狩猟行動をよくすることをあきらかにされています。この性差は隣のK集団では見られず、その理由のひとつとして、M集団では大人のオスの数が多く、発情メスや順位をめぐって政治的なやり取りに忙しいため、オオアリ釣りする余裕がないと考えられました。またチンパンジーの狩猟対象がどのように決まっているか検討するため、その哺乳類動物の生息密度を調査されました。
上原先生の業績は多方面に及んでいます。数年にわたりチンパンジーの体重をはかり、マハレのチンパンジーの体重が雨季の中ごろに減少することをあきらかにされました。草本の茎を食べるスピードが年齢によって異なることを発見されました。権力闘争に敗れ村八分になったアルファオスが復権できるのは、集団本体に連合できるオトナのオスが確保できるときだけであると議論されました。母親のチンパンジーが病気になったとき、その赤ん坊を若い大人のメスが1週間子守りをしたエピソードを紹介した報告もあります。また、基礎になる調査も多くおこなわれました。マハレの植物の「トングェ語・ラテン語対照リスト」やチンパンジーの「食用植物のリスト」を西田さんと共著で作成し、またMグループの初期の個体識別にも大きく貢献されました。これこそ現在も続いている長期研究の基礎をなすものです。
ザイール(現コンゴ民主共和国)では、湿性草原を2つのピグミーチンパンジーの集団が利用することや、集団間関係が敵対的であること、水浸しになって8種の水中の植物を食べることなど報告されました。