「三戸サツエ・幸島のサル」アーカイブス


2005年7月発足、2022年1月、京都大学野生動物研究センターのホームページに移管

「三戸サツエ・幸島のサル」アーカイブスによせて

 この50有余年、幸島のサルは三戸サツエさんとともにあったといって過言ではない。
1948年今西錦司に率いられた伊谷純一郎、川村俊蔵たちが幸島を訪れた時も、1952年初めてニホンザルの餌づけが成功した時も、三戸さんは研究者の傍らにいた。

後にニホンザルによる文化的行動として有名になるイモ洗い行動を発見し、研究者に書き送ったのも三戸さんだった。また日本列島改造のかけ声の中、幸島が民間へ売却されるのを防いだのも三戸さんの力があってのことだった。

今西をはじめサル学最初期の研究者が一人また一人と世を去る中で、その当時の雰囲気は徐々に忘れ去られようとしている。半世紀を経た今、新しい革袋に酒を入れ替えることが必要になっていることは重々承知した上で、こうした過去の重みを記録しておくことがますます重要になっていると思う。幸島の価値は、この半世紀にわたるニホンザルの生き様が、一頭一頭個体識別された状況の下で、しっかりと記録されてきたことにあるからである。

 三戸さんは1970年に地元での教員生活を55歳で退職した後、1984年までは霊長類研究所の非常勤職員を務められた。そして今もなお、幸島を訪れてはサルを観察し、元気に観光客やマスコミの相手をしておられる。さすがに新しいサルの名前をいちいち覚えていくことは難しくなられたが、幸島のサルの生き証人であることには変わりがない。

 その三戸さんが90歳になられる頃、三戸さんに依頼して、三戸さんが持っておられる資料を将来へ残すための作業を行った。その内容は多岐にわたるが、観察日誌や初期の人物往来記録、各種文書等々である。その中でも、三戸さんが長年蓄積されてきた数冊のアルバムには、大量の写真が残されていた。50年の歳月というものは長いもので、こうした写真を眺めていると、人の世が移ろいゆく様がまざまざと浮かび上がってくる。

 見る人が見れば一目瞭然なのだが、幸島の大泊の浜はすっかり砂で覆われてしまった。往来する船も木造の手こぎから、プラスティック製の強力な船外機に変わった。島の植生も変わったし、写真で見る人々の顔ぶれはなんと懐かしいことか。残念なことは、映像の力を持ってしても、サルたちの生き生きとした個性豊かな姿はわずかにしか伝えられないということである。だがもし映像がなければ、それはさらにうすらいだ印象のものでしかなかったことであろう。

幸いなことに、幸島のサルについては三戸サツエさんや河合雅雄先生など多くの先達たちが秀逸な文章でもって紹介してくれている。写真集も数多い。それらの記録と一緒に、このアーカイブスを参照していただければ、よりいっそう幸島の歴史を理解することが容易になるであろう。

 作業にあたっては、かって三戸さんが主宰している幸島自然苑の活動を支えていた長友(旧姓黒木)さつきさんの助けを借りた。長友さんの助けがなければ、この煩雑きわまる作業を終えることはとうてい不可能だったろう。記して、感謝の意を捧げたい。

文責・渡邊邦夫